デフレ論議雑感
2012年12月06日
供給が需要を超過しているとデフレになるから、そのギャップを財政赤字による政府支出で埋めてやれば良いという説がある。しかし、一時的にそれができても永久にはできない。そもそもGDPデフレーターでみてデフレは15年以上も続いているのだから、デフレの原因を需給ギャップと考えるのは無理がある。いくら値段を下げても需要されないなら、問題は需要不足ではなく、その供給体制にこそあるのではないか。
デフレはマネーの量が少ないためという議論もある。確かに、日銀は資産買入の基金枠を拡大してきた。ただ、同時に、どれだけの量のマネーをどんな方法で供給すればデフレでなくなるのか、定量的で説得的な提案は見当たらない。90年代に月額0.2~0.5兆円だった日銀による長期国債買切りオペは、12年10月は1.9兆円(基金買入を合わせると4.9兆円)になっている。金融政策当局や政府が「デフレを終わらせます」と宣言するだけでは、デフレでなくなるという予想が人々の間に広がるとは思えない。
価格の下落が良いことという意味は、必要なものや欲しいものが想定以上の安さで購入できたとき、生まれた余剰分で他のモノやサービスを買えるということだ。しかし、人々がその余剰を追加的な消費に振り向けないから、平均の物価が下がることになる。すると、人々が財布のひもを緩められるよう、社会保障制度を充実させて安心できる社会にすれば良いという提案がでてくる。
将来不安はぜひとも解消したいが、完全に解消することなどできるはずがない。超高齢社会と財政赤字だから負担増と給付減をやるしかない。それをできるだけ公正にやる必要があるのだが、一体改革では低所得者への配慮を維持・強化するために消費税を増税する。消費税を増税すると物価が上がるので、それはそれで低所得者への配慮が必要になる、という何だか良く分からない話になっている。
消費を増やすためには、生活を豊かにするような、人々が欲しがる商品やサービスがもっと提供されるよう生産側で新陳代謝を進める必要がある。それには、企業の創意工夫とリスクテイク(設備投資)が不可欠である。デフレ脱却のためには正しい意味での供給力の強化が必要という点において、政策当局だけでなく民間企業にも現状に対する責任があるだろう。
デフレから脱却しないと消費税率を上げられないという声もある。緩やかなデフレ下で衆参両院ともに約8割の賛成票で決めた改正を取りやめるとしたら、よほどのことだ。私はデフレを大問題と考えているが、デフレが深まってはおらず、ゆっくりとでも解消に向かっているなら増税を棚上げすべきでないとも思う。マニフェストにしろ金融政策にしろ、約束したことや決めたことを実施しない状況や実現できない状況が続いて人々の政策に対する信用が傷だらけになる(何も信じられなくなる)のが心配である。
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