鎮魂と経済と

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2012年08月21日

  • 中里 幸聖
日本列島に住む者にとって、八月は特別な季節である。蒸し暑さが極まる一方で、植物や昆虫などが命を謳歌する季節であると共に、鎮魂の季節でもある。従来の旧盆の慣習に、広島、長崎への原爆投下、第二次世界大戦の終戦が加わり、暑い日差し、蝉の声、鎮魂はワンセットとなっている感がある。

幕末明治維新から第二次世界大戦終戦までのわが国の国家としての行動については様々な見解があり、議論が紛糾しやすく、近隣諸国との摩擦も生じやすいテーマではある。しかし、ここでは第二次世界大戦等そのものについて論じようというわけではない。いわゆる国家目標というべきものを考えてみたい。鎮魂は過去を振り返るのみならず、未来を見据えるものでなければ、真の「たましずめ」とはならないであろう。

明治維新から第二次世界大戦までの日本は「富国強兵」、とりわけ軍事力強化に重点をおいてきた。しかし、第二次世界大戦での主に米国との軍事対決による敗戦により、多くの日本人は経済力強化の重要性を痛感したと推測される。そして何よりも、終戦後しばらくの間は、米国は圧倒的な豊かさを体現しており、わが国も米国のような豊かさを実現したいという願望が多くの国民に共有されたと考えられる。そのため、第二次世界大戦後の日本は、「富国強兵」のようなキャッチフレーズは提示しなかったものの、「経済成長」を最も優先度の高い事項としてきたといえよう。

そのような経済力強化に重点をおいた戦後日本は、国民の努力や国際情勢が経済的にプラスに働いたことなどもあり、名目GNP(米ドル換算)で1968年にはドイツを抜き、当時の西側諸国では米国に次ぐ世界2位の規模となった。2010年には中国に抜かれて3位となったものの、GDPの規模でみる限り、戦前とは比較にならないほどの経済大国の地位を占めるに至ったといえ、「経済成長」は十分な結果を出したと考えられる。

しかし、本質的には「富国強兵」も「経済成長」も手段ではあっても、国家目標そのものではない。「富国強兵」は国家の独立を維持するための手段である。「経済成長」も戦前には十分でなかった「富国」の部分を重視したものである。

では、そうして実現した経済力は、わが国の独立維持、つまりは国民の生命と財産を守るための必要条件を満たすように活用されているのだろうか?そのことを十分に吟味して、有効に活用するという観点で経済政策をはじめとする政治を進めていくのでなければ、目先の技術論に終始し、国民の安心立命は得られないのではないだろうか。鎮魂の季節に、改めて「何のための経済力なのか?」を問い直してみたい。

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