ティム・ガイトナー米国財務長官のAPEC蔵相会議における声明

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2011年12月16日

  • 吉川 満
11月10日ホノルルで発表された、APEC蔵相会議におけるガイトナー米国財務長官の声明(※1)は、一言で言えば、現時点における世界経済の最大の問題点は依然としてヨーロッパの危機なのであり、ヨーロッパが迅速に財政を修復する事が何よりも求められているが、APEC諸国は相対的に成長政策を採る余力を持っているので、現在及び将来のバランスの取れた発展のために努力しなければならない、ということが述べられています。従来長期に亘って、日本を含む欧米先進国が世界経済を牽引していくという図式が固定的に定着して来ましたが、事態は一変していると言う事がここではっきりと謳われています。世界経済の成長のエンジンが先進国からアジアを中心とした新興国に移ってきた事を米国は明確に認識しているのです。1997年に始まったアジア通貨危機を想起すれば、その思いはますます強くなると言えましょう。

こうした認識に立って、オバマ政権の最大の政策の重点も「テロとの戦い」から「アジアの成長の取り込み」にシフトしている事は最近わが国の新聞でも報じられるようになった事ですが、このあたりのガイトナー米国財務長官の発言からもその点をはっきりと見て取る事ができます。そもそも「テロとの戦い」は、もともとはブッシュ前大統領が始めた事であって、オバマ政権としては政策の一貫性・継続性に対する配慮から選択の余地無くこれを引き継がざるを得なかったという面もあったと思います。しかしここで政策の重点を「アジアの成長の取り込み」にシフトできた事はほっとした面もあるのではないでしょうか。米国としては政策の重点を「アジアの成長の取り込み」にシフトする為には、APEC加盟国(オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、中国、香港、インドネシア、日本、韓国、マレーシア、メキシコ) のほか、米国が中心となって交渉中のTPP「環太平洋戦略的経済連携協定」(加盟交渉国はシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランド、米国、オーストラリア、マレーシア、ベトナム、ペルー、(日本は本年11月に交渉参加に向けて関係国と協議に入ることを表明している。ほかにカナダ、メキシコも本年11月に参加の意向を表明した。))をも利用し、着々と準備を進めています。ここで一つ注目されるのは、中国が米国の構想するTPP構想には含まれていないことです。中国はASEAN会議の席などで、「中国は何処の国からもTPP参加の招待状を受け取っていない」と述べるなど、本来は自由貿易交渉の枠組作りに主導的に参加したいと考えているようなのですが、米国とは主導権争いをしていると囁かれ、米国も中国にはTPP会議への招待状は送っていないようなのです。

確かに知的所有権問題などで中国の主張は米国など他の先進諸国の間で確立した慣行との間の隔たりが大きく、先進国の間で既に成立している国際ルールを拡大していく事を前提に考える限り、中国が直ちにTPPに参加し、共通の自由貿易圏に所属することは、困難であると考えられます。筆者としては、中国も可能な限り早急に国際ルールの受け入れを決断し、TPPの交渉にも参加して欲しいと思うばかりです。

これに続いてガイトナー米国財務長官は次の様にアジア諸国の努力の必要性を再度訴え、「米国は我々の危機の原因となっている問題点の解決努力を継続し、ヨーロッパが成長の鈍化する時期と直面する中で、アジア諸国は国内需要の成長の更なる刺激に努め、ヨーロッパの情況に見られるような成長のスローダウンの影響を受けにくくし、かつ世界の経済成長に貢献し続けていける様に努力する事が必要です。」(※2)と述べた後、特に意識して取り組んでいく必要のある分野として、次の四つのポイントを挙げています。

「・この世界経済の再リバランス化のプロセスは、中国及び他のアジア諸国の市場原理に即して各国の通貨を調整する事を認める政策によって支援されるでしょう。取り分け中国は今後とも、人民元の価値が上昇する事を認めなければなりません。かつ中国は為替レートをより迅速に調整する事の重要性を認識しているのです。
・会議に参加した大臣達は、世界の財政の改革を進めるという我々の作業を継続し、レベル・プレイイング・フィールドを築く事に合意し、リスク取りが、より低い水準の国々の方にシフトする機会を減少させる事に合意しました。
・APEC諸国の大臣達は全世界の国々で将来の経済成長を高める為の、実際的、かつ直接的な手段に関しても議論しました。その際、経済成長の触媒となり雇用を創出する為のインフラストラクチャー投資の極めて重要な役割に焦点が当てられました。
・最後になりますが、貧しい人々を救済し、経済の弾力性を促進するために、APEC加盟諸国は安全で信頼性のある金融サービスの範囲を拡大するステップに踏み出しました。」(※2)

簡便の為この四点をそれぞれ「1.人民元を中心とした通貨価値の調整」、「2.レベル・プレイイング・フィールドの構築と、リスク取りのレベルの向上」、「3.経済成長、雇用創出の為のインフラ投資の重視」、「4.安全で信頼性のある金融サービスの拡大」と簡略化して呼ぶ事にしましょう。はじめに「1.人民元を中心とした通貨価値の調整」、は米国が数年前から継続的に主張してきた事です。中国は徐々に歩み寄りの姿勢を見せてきているのですが、経済力をきちんと反映した水準まで人民元の価値を上昇させようとはしないのです。現代の自由貿易は経済力をきちんと反映するよう通貨価値を調整することが前提となっていますから、米国が構想するTPP構想の中に中国が含まれていないのも、この事が大きな一因となっているものと思われます。現代経済は価格を用いて需給を調整するようになっていますから、その大前提をきちんと遵守することができない国を、自由貿易国とは呼べないのだと思われます。

ついで二番目のポイントとしてあげられている「2.レベル・プレイイング・フィールドの構築と、リスク取りのレベルの向上」はこれも米国が繰り返し主張してきた事です。各国が公正に競争する為にはレベル・プレイイング・フィールドの構築が不可欠ですし、かつそのフィールドで行なうリスク取りは、過度のリスクを背負い込まないようにきちんと管理して実行されなければならないのです。この事が改めて主張されています。

三番目のポイントとして挙げられているのは、「3.経済成長、雇用創出の為のインフラ投資の重視」です。インフラ投資が重要である事は勿論従来から分かっていた事ですが、ともすれば疎かにされてしまいがちなポイントでもあるのです。そこである意味では初心に帰って、インフラ投資を活性化する所からやり直そうという訳です。現に米国は国内でも、スマートグリッドへの投資を初めとする様々なインフラ投資を呼びかけていることは周知の通りです。

最後のポイントとして挙げられているのは、「4.安全で信頼性のある金融サービスの拡大」です。米国ではリーマン・ショック以来、安全で信頼性のある金融サービスに対するニーズは高まっていますし、ヨーロッパでもいわゆる欧州金融危機の中でニーズは高まる一方です。最後に改めて「安全で信頼性のある金融サービスの拡大」に言及した事は、十分に納得できる所と言えましょう。

(※1)APEC蔵相会議におけるガイトナー米国財務長官の声明(2011年11月10日ホノルル)「今週我々は世界的に経済問題が継続する中で、ミーティングを開催しました。世界経済の発展のために中心的な難問となっているのは、依然としてヨーロッパの危機です。ヨーロッパが迅速に財政の安定を修復する強力なプランを設定する事が極めて重要なのです。
我々は皆、ヨーロッパの危機から直接の影響を受けています。けれども本日ここに集まった国々は他の大部分の国々に比べ、このヨーロッパからのプレッシャーに直面しつつも、成長を強化する 措置が採り易い情況にあります。
こうした文脈から言って、我々の議論の主たる焦点は、世界経済全体の成長を強化する事を助け、将来に亘って世界経済全体の成長をよりバランスの取れた持続可能なものとしていくためにはどうすればよいかと言う事です。本日ここに集まった財務相達は先週G-20 のリーダー達が行なった世界経済の回復を支援すると言う誓約を支援すると発表しました。
現在及び将来の、より強力でよりバランスの取れた成長と言う目的を達成するために、APECの蔵相たちは幾つかの分野で発展していく事に注力しています。」(筆者訳)
(※2)米国財務省ホームページ

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