経済と科学と迷信、揺るぎない不思議な関係

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2011年09月22日

  • 川村 雄介
バブル経済真っ盛りの頃である。日経平均株価は3万円を突破し、若手サラリーパーソンでも毎晩のように高価な洋酒を開け、名門ゴルフ場会員権は軒並み1億円を超えていた。ある宴席で、上品な長い白髪を靡かせた初老の紳士を紹介された。工学博士の肩書きを持ち、現役時代は戦後の造船ニッポンの名声を打ち立てた功労者の一人だったという。第一印象は、どこかの大学教授かな、という感じだ。華やかな料亭には珍しい地味な服装だったが、センスは小洒落ている。お店の女性たちからも人気者、池波正太郎の小説に名脇役で出てきそうなタイプだった。

初見の挨拶を済ませると、この紳士は軽く咳払いをし、当時隆盛の極みにあった何人かの著名人といくつかの大企業の名を挙げた。そして私に尋ねた。「あなたは、この人たちの近未来をどう予想されていますか」「益々、勢いを増すのではないですか。まあ、一人くらいは運が傾くこともあるでしょうが」すると老紳士は、「X氏は今月下旬、Y社は再来月上旬におかしくなります。Z氏は来年3月までに辞職・・・」と個別具体的に指摘したのである。バブル期の料亭には色々なタイプの人々が出入りしていた。占い師のような人士も少なくなかった。きっとこの紳士もその一人なのだろう。帰りのタクシー車内で、いささか興ざめして彼の名刺を凝視しながら、川端の高速道路の渋滞に辟易としたものだった。

ところが。実にこの紳士の予言はことごとく当たったのである。かれの受け売りを友人たちに「予言」していた私は驚異の眼差しで見られるようになったが、いうまでもなく何の根拠もない。狐につままれた気分で名刺入れをひっくり返し老紳士に電話したものである。電話口の老紳士は「お昼にでも遊びにいらっしゃい。お話しますよ」

後日、郊外のお宅に老紳士を訪ねると、彼は昆布茶を勧めながら「あなた、焚書坑儒ってご存知ですよね」昔、中学で習った言葉だ。「儒教の経典を焼き捨て、儒者たちを迫害したっていう始皇帝のあれでしょう」「儒者だけではないんです、実は。日本では気学と称し、中国では風水といわれている古代科学の重要文書も大量に廃棄されてしまった。それをきっかけに科学が迷信に転化していったのですよ」

老紳士によると、そもそも気学、風水は森羅万象を五行十干十二支を基礎にして属性別に細かく分類し、過去の長い期間に発生した事象の因果関係を確率的に明らかにする学問だったという。気象天文学であり地誌・地理学であり歴史学であり数学だったそうだ。「気学を研究・運用する役所が陰陽院だったのですが、これは現在で言えば最先端の国立高度科学研究所とも言うべき存在だったのです」

ふーん、という印象から抜け出ない私を見て老紳士はにやっと微笑んだ。「ただね、気学がどうしてもあてはまらないケースもあります。だいたい100のうち5つか6つは適用不能なものがある。その上で、適用可能なケースにおいて、ある事象が発生する確率がどのくらいあるか、を予測するのがこの学問の本質だった。また、気学は攻撃的に使ってはならない。あくまでも予防の学問なのです。凶作の可能性が高い年には備蓄放出に備え、北方から侵入者がありそうな時には防御を固める、そういう危機に事前に対応するための科学だったんですよ」

こう説明されると何となく説得力が出てくる。老紳士は続ける「現代風に表現すればね、信頼区間95%で走らせた時、Xとなる確率が90%、とでもなりますかね。蓋然性が高い事態へのリスク管理だったのですよ」

信頼区間、確率、リスク管理・・・ここまで聞くと、私の頭を過ぎる単語はVAR、シミュレーション、モンテカルロといった現代金融工学術語の数々だ。なるほど、古代における科学だったという話も理解できる。

「ただね、基本理論書が廃棄され専門学者が迫害され、一部の文献だけ保管されていたり、中途半端な理解をする人間が大言したりするなかで、土俗的な信仰と融合しながら、迷信めいたものが増えていったことが残念です。そもそも気学、風水に従事する専門家には3つの要素が必要だと言われていました。第一、お金に淡白であること、第二、権力欲がないこと、第三、平均水準より少し頭が良いこと。本当の気学師や風水師は決してお金儲けをしようなんて考えちゃいけなかったのです」

思わず頷いた私だが、最後の老紳士の言葉はさらに示唆的なものだった。

「何につけ方法論自体を絶対化したり手段を目的化してはいけません。手法は数多くある。その中の最先端とされる手法を頼りすぎ、信仰化してしまうととんでもないことになる。最後はアナログ的な人間の経験と勘による選択力を磨かなければいけない」

この老紳士がお元気であったら、リーマン危機以降のグローバルな金融危機の原因をどう分析したであろうか。経済とは、科学とは、そして迷信とは何なのだろうか。秋の夜長に彼を偲びながら熱燗を傾けている。

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