日本の金融ビジネスにチャンス到来

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2011年07月14日

  • 川村 雄介
ここ2,3年来、アメリカ人の友人の多くが金融業、とくにウォール街に対して、かなりあからさまな反感を口にする。在米の日本人ビジネスマンも、アメリカ国内の金融業への不信感、極論すれば「大金融機関は不要だ。存置するならがんじがらめに縛り付けておけ」といった風潮を感じると言う。

いまだに傷跡が完全に癒えてはいないサブプライム問題の後遺症なのだろうか。もちろんそれもある。だが、より端的には、「たとえば、会ったこともない会社を参照企業にしてCDSを組成し、そのコスト構造やリスクを明らかにしないまま相対で片道数百ベーシスも鞘を抜き、若い担当ディーラーや役員が、普通のアメリカ人の一生分の収入を一回のボーナスで貰うなど、納得できない。なんか変じゃないか」という気持ちが多くのアメリカ人の心理の底流にある。他方でNINJA(no income, no job, no asset)の人々に、一見低利のローンで歓心を引いて家を買わせ、NINJA債務者たちが返済出来ようが出来まいが、ローン・ブローカーは利益を上げて後は知りません、といった商法まで登場していたのだから、「善良な市民」としては我慢ならぬ、という心境になったことは想像に難くない。

こうした挙句に大金融機関の破綻が続いた。それらの処理も、あるものは見捨て、あるものは公金で救済するという分かりづらい対応だったし、とにかく結果としてアメリカの金融システムを維持回復するために天文学的な公的資金を投入した。QE2もこうした脈絡の中で理解された節もある。

これらの結果、導入されようとしているものが、ドッド・フランク法に象徴される新しいアメリカの金融規制改革である。膨大な改革であり広範多岐かつテクニカルな内容を併せ持つので、その正確な理解は容易ではない。しかし、あえて一言で表現すれば「大金融機関束縛法」あるいは「大金融機関衆人監視法」といえそうだ。対象となる大金融機関は、順調な経営をしているうちに、きっちり「遺書」を書いておきなさい、という規制がわかりやすい例だ。関係者の間でボルカー・ルールとして有名になった(元FRB議長のポール・ボルカー氏の主唱に基づく)大銀行に対する自己勘定取引の原則禁止規定や厳しい資本規制、レバレッジ規制、統合リスク管理規制等々の厳格なプルーデンス・ルールも象徴的である。デリバティブ取引は取引所などに集中させて可視化することを求められている。ちなみに、大西洋を跨ぐ証券取引所の再編・統合をめぐる動きの背景にはこれがある。

もっとも、ボルカー・ルールなどは日本人の感覚にスーっと馴染むのではないか。アメリカでも80年ほど前に制定された銀行法で、銀行による証券業務が原則禁止されていた(グラス・スティーガル規制と称された)のに、金融産業の競争力強化、グローバル化促進の掛け声のもとに21世紀に入る頃、この規制は骨抜きにされていた。ある意味で本来の姿に戻っただけ、といえなくもない。本源的資金が不特定多数の預金に由来し、その預金は契約上元利保証になっている構造のビジネス・モデルにあって、不必要にリスクを取る業務は元々認められるべきではない、という当然の事理だろう。ましてtoo big to fail原理で万一の場合には税金を投入するなどと言われては、なるほどアメリカの納税者は黙っていられないのだろう。

ただし、気になるのは、全体に行き過ぎた金融機関バッシングになっている現状である。日本でもバブル崩壊時期に、金融機関は徹底的に批判された。確かにバブル期の金融機関行動には反省を要するものが少なくなかったが、半面で過剰なバッシングが日本の金融セクター全般にいささか萎縮感をもたらしてしまった点はなかったか。あれから20年近く、日本の金融機関は安全性、健全性に全力を挙げてきた。これ自体は大変結構なことである。しかし、同時に海外オペレーションを始めとする諸業務に慎重なあまり、グローバル競争に立ち遅れてしまったのも事実ではないか。その間に欧米金融勢は、次々に新たなビジネスを構築し高収益を謳歌してきた。日本でも金融改革が進められたものの、欧米とはスピードも広さも深さも異なった。否、制度の建てつけよりも、金融機関のマインドが防衛的にならざる得ない四囲の状況にあった。

そこで、近時のアメリカの金融改革である。ヨーロッパの金融システムも不安をぬぐい去れず、巨大化する中国も金融セクターはいまだ開放的・先進的とは言えない中で、世界全体の金融が「守りを固める」方向に舵を切っている。これは、あたかも日本が20年前に選択して進んできた道のデジャ・ビュを見る観だ。言い換えると、ここから先には日本の金融機関にビッグ・チャンスがありうる、ということである。

日本の金融機関が20年間をかけて構築してきたノウハウや経験が大いに活きると思う。いわば柵のない広場でのプレーからリングフェンスを張った域内での試合を求められるのが、今後のグローバル金融である。「土俵内」の勝負にこだわり、徳俵に足がかかっても負け、とされる掟に親しんできた日本の金融の出番ではないか。また、これからの欧米市場では極端な金融寡占は簡単には認められなくなるだろう。これはこれで、日本の金融機関の欧米オペレーションに望外の収益機会を呼び込んでくれるかもしれない。

そうした中、主戦場になっていくのは間違いなくアジアであろう。水が高い所から低いところに流れるように、プレーヤーたちはより規制の緩い地域を求める。アジアは今後の高成長が期待される上、潤沢なチャイナマネーは世界を動かし始めている。しかも総じて規制は相対的に厳しくない。グローバル・ハウスは欧米が窮屈になれば、先を争ってアジアにやってくる。すでにその動きはリーマン危機後顕著である。ゆえにアジアでの勝負は楽ではない。総力戦になるだろう。

いよいよ、日本の金融機関に21世紀最初で最後の勝負時が来ている実感を持つ昨今だ。

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