なぜ警告は無視されたのか~東日本大震災と2008年の世界金融危機~

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2011年06月13日

  • 森 祐司
東日本大震災と2008年の世界金融危機は、自然現象と社会現象という相違はあるが、未曾有の大事件ということで類推・比較されることも多い。

東日本大震災は「予想外」な事象で、大地震と津波への個別の対策はあったものの、同時に起きるケースや、桁外れな被害規模は予想できなかったために対応策がとれなかったとの見解は、最近よく聞かれることである。しかし、貞観地震や明治三陸大津波など歴史からの教訓や、一部の学者による警告が全くなかったわけではないことも、最近では指摘されている。それでは、なぜそのような警告は無視されてしまったのだろうか。この点、2008年の経済金融危機においても、警告する者がいたにもかかわらず、検討されることなく無視されてしまったこととも符合しよう。ベッカーとポズナーの共著『ベッカー教授、ポズナー判事の常識破りの経済学』でポズナーは、この警告が無視された理由について検討している。その指摘は日本における震災への警告が無視ないし軽視されたことにも相通ずるところが多い。

まず金融危機が無視された理由として、ポズナーは「第一に先入観が邪魔をした」と述べている。すなわち、市場はしっかりしていて、自らを正すことができるという強い確信(先入観)があり、ITバブル崩壊のような危機もすぐに対応できたことから、そのような確信はより強くなったことが警告を無視させたのだという。東日本大震災においても同様のことがあったのではないか。大地震や大津波の警告はあっても、想像を絶するような規模での災厄は非常に長い間経験していなかったために、自らが経験していないからということから考えてほとんど省みられなかったのではないか。

ポズナーは二点目として、「警告が発せられたリスクを減らすために何かをするには、非常なコストがかかったであろう」と指摘している。すなわち「悪いことが起きることを未然に防いでも、その確率が事前に知らされていないかぎり称賛を受けるのは難しく、批判を避けることすら難しい。起きにくいことが起きなかったとしても、誰も感銘を受けない」し、さらに「何もしなくても発生しなかったような事象を防止するために費やしたコストには注目が集まるだろう。」と指摘している。大震災の場合で一例をあげれば、堤防のことがあげられよう。津波のために堤防の高さを5mから10mにした後に、津波が発生して原発を防ぎきれていれば称賛されていたかもしれないが、津波が起きなかったら、堤防を倍にするというようなコスト負担を投資家や納税者にどのように説明できたであろうか。

ポズナーは、「災厄の起こる確率が事前に分からなければ、不測の事態発生を予防するための措置についてまともな費用便益が難しく」ほとんど不可能だと述べている。大地震や大津波の合理的な予測や確率計算は現在でも困難であるため、「予防のためのコスト」見積もりは不可能である。今回の大地震によって、原発問題やエネルギー政策は一部の人々に任せるのではなく、国民的議論を成熟させた上で決定すべき重要事項だとの認識を国民は強く持ったであろう。また、その決定は現在の世代だけでなく後世代にも影響する重大な意思決定であることも気づかされたであろう。しかし、現在の科学が「予防のためのコスト」を国民に提示できないにもかかわらず、国民はこれら重要事項について意思決定をしていかなければならない。そのような知識不足・情報不足の中で少しでも良い選択をするには、歴史の教訓・先人の警告にも真摯に耳を傾けることがとても重要なのではなかろうか。

参考文献 ゲーリー・S・ベッカー、リチャード・A・ポズナー『ベッカー教授、ポズナー判事の常識破りの経済学』東洋経済新報社

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