時代の進歩と人間の進歩

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2011年05月19日

  • 川村 雄介
東日本大震災に遭遇した多くの日本人の態度は世界中で賞賛された。先日も海外で、会う人ごとに「日本人の静かな勇気と自若とした態度に舌を巻いています」と握手を求められた。各国のメディアはこぞって危機に臨んだ日本人を称えていた。社会不安を抱える中東などの、投石や放火、武力衝突を見聞きするにつけ、満更でもない気持ちになる。日本人が古来持ち合わせている固有の美徳なのだろうか。

幕末の日本の状況を外国人の紀行、記録に基づいて見事に描写して評している著作が、渡辺京二氏の『逝きし世の面影』だ。同書によると、米国の初代駐日公使となったタウンゼンド・ハリスは日本人の忍耐強い勤労とその成果に讃嘆を覚えたという。ドイツの旅行家エンゲルベルト・ケンペルは、「人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物に困らず・・・世界のいかなる地方でもこれよりもよい生活を送っているところはない」といった記述をしているそうだ。さらに、『大君の都』で有名なラザフォード・オールコックは、神奈川近郊の農村では破損している小屋や農家はほとんどなく、彼の前任地の中国の悲惨さと対極をなしている、と漏らしているそうである。

これらに共通する点は、いずれも当時の衣食足りた地域のものだ、ということにある。かりに日本人が生来礼儀正しいとしても、生活が安定していなければそうそう立派には振舞えないように思う。現に、ハリスらの生きていた時代の日本でも、窮乏地域では悲惨な人身売買や近親間の血生臭い争闘が頻発していた。

日本が近代化していくにつれ経済は目覚しく発展したが、大正から昭和にかけて、人々の間の経済格差が拡大していった。たとえば1920年代のジニ係数は0.4を超えていた。算出の仕方次第でかなりの差が出るから単純比較は危険だが、これは国連のジニ係数による昨今の中国のレベル以上である。ちなみに昨今の日本は0.3を切っている。

この時期に関東大震災が牙を剥いた。大震災の言語を絶する惨劇のひとつが、被災者の一部が起こしたアジア人虐殺事件である。パニックのなかで、首都圏在住のアジア人が放火、略奪、暴行を行っているという流言が広がった。このたちの悪い風評に怯えた被災地の一部の日本人は集団で彼らを襲い、約6000人を殺害したといわれる。近代日本の耐え難い恥部にほかならない。世界中から褒め称えられている今の日本人の父祖とは思えない蛮行の極みだった。

『逝きし世の面影』が描写する幕末から70年も後の事件である。その70年間で日本人は悪く変質してしまったのか。急速な近代化の進展という時代の進歩に逆行して、人心は退化していたのか。

第二次大戦前は確かに国全体では急成長し猛烈なスピードで先進国入りした。だが、国民の間では格差がありすぎた。広大な豪邸に何人もの雇い人を抱える富豪がいる反面、就職口がない大卒者、満足な食料も確保できない家族、病気にかかっても医者はおろか薬すら買えない人々が大勢いた。当時の流行歌の歌詞も「どうせ二人はこの世では花の咲かない枯れ薄」「暗い浮世のこの裏町で」といった、やりきれないような「ぶっ壊れちまった悲しみ」に満ちている。関東大震災時の上記のような陰惨な事件の背景には、全般的な所得水準の低さと大きな格差がもたらす極度のストレスが存在したのではないか。

戦後日本は、社会全体が豊かになり「一億総中流」社会を実現した。最近は格差が広がりつつあると指摘されるが、戦前と比較したらずっと小さい。今回の大災害で内外から高く評価された日本人の行動の大きな原動力は、経済の絶対水準向上と格差の縮小にあったような気がしてならない。時代が経済を進展させ、公平感のある配分を現出し、人間が進歩したのではないか。

「スーパーキャピタリズム」の著者、ロバート・ライシュは近著のAftershock(直訳すると、余震、である)でリーマン・ショックの根本原因は、米国社会の極端な経済格差拡大にあったと喝破している。周知のように中国の第12次五ヵ年計画の要諦が格差縮小だ。

成長著しい中国について北京の中国人友人が漏らす「今までの中国は貧しすぎたのです。今も昔も、衣食足りて礼節を知るのです」

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