ロンドン報告 2011年夏 「欧州における移民論争から見えてくるもの」

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2011年04月28日

  • 児玉 卓
南欧諸国の債務危機は多様な国が単一通貨を共有することの矛盾を浮き彫りにした。その支援をめぐる政治的なごたごたは、EUが異なる利害に立脚した国々の集合体に過ぎないことを再確認させもした。今、舞台を変えて、同じようなことが繰り返されている。

きっかけは、チュニジアに始まり、エジプト、リビアへと波及した、中東・北アフリカの民主化ドミノである。動乱は難民を生み、特に多くのチュニジア人が地中海をボートで渡って、イタリア南端の島に辿り着いた。もっとも、彼らの最終目的地はイタリアではなくフランスである。チュニジアが長くフランスの保護領であった関係から、難民の多くはフランス語を解し、フランスに親戚・知人を持つものも少なくないためだ。

そこで、地理的理由のみによって難民の流入が急増したイタリアは「負担の分かち合い」を求め、難民に対して他国への移動の認可を含む居住許可証を発給した。これには「Humanitarian」という形容詞が冠されており、表向きは難民の自由意志を尊重しているような体裁になっているが、言うまでもなく、フランスへの追い出し作戦である。

しかしフランスはこれを嫌い、イタリアとの国境管理を強化、4月17日には難民を乗せた列車の入境を拒むという事態に至っている。

以上が事の概略であるが、その欧州的(EU的)意味は、まずフランスの入境拒否が、EU域内(正しくは協定参加国間)の人の異動の自由を認めたシェンゲン協定と齟齬をきたすからである。やや大げさに言えば、構成国のエゴの前に欧州統合の精神と象徴がないがしろにされているのである。

そして、個別国のエゴは他の国のエゴを引き出す波及効果を有する。この問題の当事国であるフランスのサルコジ大統領とイタリアのベルルスコーニ首相は、4月26日、バローゾ欧州委員会委員長とファンロンパイ欧州理事会議長(EU大統領)に対し、共同書簡を送っているが、この中で汎EU的な域外に対する境界管理の厳格化を呼びかけている。サルコジ、ベルルスコーニの両氏が、対立しながらも共同歩調を取れる(利害を共有する)対策の一つということだろう。これに対する各国の反応はいまだ明らかではないが、恐らくここでも受益と負担の非対称性が政策実現に向けた大きな障害となろう。境界管理の厳格化にはカネが要る。その負担を、例えば地中海からは程遠いドイツ以北の国が素直に差し出すかという問題である。「なぜ我々の税金でギリシャを助けなければならない?」と概ね同じ構図である。

4月17日に行われたフィンランドの総選挙では、反移民を掲げる「真正フィン人党」が第3党に躍進した。フランスは、1年後に大統領選挙を控えているが、世論調査によれば極右の国民戦線のルペン党首の人気がサルコジ氏を大幅に上回っている。サルコジ氏自身が内相時代の2006年、移民の同化・選別を旨とする「新移民法」の成立を主導した保守であるが、イタリアからの難民列車の入境拒否に出たのはそのような彼自身のイデオロギーの問題だけではなく、当然ながらフランスの世論の右傾化を受けたものである。最近の移民騒動は、統一欧州の揺らぎの一断面に他ならない。

さて移民の受け入れが政治的に極めてセンシティブな問題であるのは日本も同じである。もっとも、日本は受け入れ自体が極めて限定的だから、欧州とは問題の所在がかなり異なる。主たる課題は、より多くの移民、出稼ぎ労働者への門戸を広げるべきかどうかにあろう。

一般論としていえば、人の移動は経済的なプラスサムの源泉となりえる。やや旧聞に属するが、インドネシア、フィリピンからの看護師、介護師の受け入れを巡る対応を見ても、日本は外国人の受け入れにあまりに腰が引けているという印象を強く持つ。しかし人の受け入れが相応のコストとリスクを伴うことも論をまたない。欧州の現実が示唆する最大のリスクは、社会・政治の極端な右傾化ではあるまいか。それは翻って、アジアから人を受け入れることによって、アジアにおける孤立が深まるという悲劇にもつながり得る。人材送り出し国との相互利益の追求が不可欠な分野といえよう。

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