中国5ヵ年計画のもうひとつの側面

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2011年02月10日

  • 金森 俊樹
2011年から始まる中国の第12次5ヵ年規画(规划)は、まもなく3月にも開かれる全国人民代表大会(人大)で正式に採択されるが、その基本的な方針は、すでに、昨年10月の共産党の第17届5中全会で示されている。重要なポイントは、内需とりわけ消費を拡大し、経済の発展方式を内需主導に転換していくこと、および発展に見合った収入の増加を図ることで、これは、現下の対外不均衡や国内の所得格差の拡大などに鑑みると、基本的に正しい政策方向と言える。次期5ヵ年規画で示されるであろう、こうした経済政策の方針そのものについては、すでにあちこちで紹介されているので、ここでは、やや違った角度から、5ヵ年規画を見てみたい。

第一、中央政府が5ヵ年規画を策定しても、それを実行するのは地方政府であり、地方政府がなんらかの理由で消極的になると、実行されないことが多い。端的な例は、経済成長率目標である。中央は8%成長を目標に掲げてきたが、地方政府はみな、実態的には10%以上の目標で経済運営を行っていることは、よく指摘されている。また、以前、計画で提唱された農村の社会インフラ整備を目的とした新農村(社会主义乡村)の構築については、その後、日本の農村視察も行われ、またその後、毎年のように中央政府の第一号文書にも掲げられたにもかかわらず、今に至るまで実行されておらず、農村の状況は昔と変わらないという。地方政府は、利益が上がると思えば積極的になるが、そうでなければ消極的、あるいはいろいろな理由をつけて実行しなくて済むようにする。新農村の場合、要は地方政府にとって、中央からの予算割り当てはあるものの、自らも膨大な資金を調達しなければならず、あまりメリットはないということか。中央からの予算は、施策を実行しなくても、様々な理由をつけて返す必要がないようにしているようだ。 計画で提唱されることと、実際に行われるかどうかは別の問題で、その意味で、とくに学者らは中央の計画に対しては冷めた目で見ている。

第二、計画策定にあたっては、まず、政府の各部門が、関連する政策項目をリストアップし、それを大学や発展研究中心、社会科学院等の研究機関の学者から成る作業グループに検討を委ねる(これに対しては、財政的支援がある模様)。この作業グループが計画の素案に盛り込む基本的な要素を提供することになる。次に中央政府は、学者、地方政府の長、中央政府各部門の長らから成る素案起草チームを作り、その素案策定過程で、共産党以外の党(一応存在する)の意見も聴取する。その意味で、計画策定は、少なくとも外形的には、集団的かつ民主的な意思決定プロセスを経ているということは言える。こうした傾向は、現行計画策定の頃から強まってきているようである。ただし、作業グループや素案策定チームのメンバーは明らかにされていない。真の意味で民主的になっているかどうかはともかく、そうした体裁を整えるようになっている点は、政治面からは重要と思われる。この点は、以前は、人大での投票は、ほとんど満場一致であったものが、近年は、案件によっては、反対票も少なからずあるという点にも通じる。反対票に実質的意味があるかどうかはともかく、これも少なくとも民主的体裁を整えようとしている表れにひとつと言えよう。以前は、人大は、地方の代議員が北京見物に来る格好の機会との位置付けであったようであるが、近年はそうでもない。

第三、上記第一の点にも通じるが、中央の計画自体は、基本的な方向を示す多分にスローガン的なもので数値目標も少なく、実質的な意味はあまりなく、したがってその性格は、指針的(indicative)であって強制的(compulsory)なものではない(“計画”ではなく、“規画”とされている所以か?)。たとえば北京市は、世界的な先進都市になることを目標に、2015年までに新たに360kmの地下鉄を建設する(その時には、全長660kmになる)、2020年までに全長1,000kmにする目標を市の計画に盛り込んでいる。また、鉄道建設計画の詳細(2015年までに全長13,000kmの高速鉄道網を整備する)は、中央の全体計画ではなく鉄道省の計画に記載されている。少なくとも全体計画は、市場経済化の下で、昔の計画経済下での計画とは異なり、限りなく指針的なものに変質している。次期計画で、GDPの具体的な数値目標が掲げられるかどうかはひとつの焦点だが、上記の通り、仮に数値目標が示されたとしても、それが実態的にどれほど意味を持つかは疑問が残る。

第四、5ヵ年規画策定にあわせ、中国指導部は従来から、計画を実行する指導者を権威付けるため、計画をスローガン的なキーワードで特徴付ける傾向がある。しかし、そうしたキーワードは、スローガンといっても、その時々の中国の抱える重大な課題の一面を反映するものでもある。最近では、江沢民前主席の「三个代表(3つの代表)」、胡主席の「和谐社会(調和のとれた社会)」、「科学发展观(科学的発展観)」が代表例であろう。前者は、周知の通り、中国共産党は、先進的な経済力、先進的な文化、および広範な人々の利益の3つを代表するというものである。一見抽象的で理解し難いが、3つ目の「広範な人々の利益を代表する」が、国営企業のみならず、私企業の利益も保護しその発展を促すというメッセージと理解され、90年代後半から2000年台前半にかけ、民営セクターが急速に成長し市場経済化が進んだ時期に符号している。また、後者は、まさにその市場化が進む過程で広がった所得格差の是正が、最大の政策課題となったことを示すものだ。次期5ヵ年規画策定にあわせ、またそれを実質的に実行することになるであろう、習近平副主席や李克強副総理ら、次期指導層を権威付けるためのキーワードは出てくるのか?現時点ではなおよくわからないが、ひとつの候補は、「包括的発展」である。もともと、アジア開発銀行が使用し始めたらしいinclusive developmentであるが、中国語的には「全面性发展(全面的な発展)」であろうか。所得格差是正に加え、環境保全、産業の高度化、農業の現代化など、高成長に伴い発生している課題をまさに全面的に解決して、より持続的で質の高い社会を目指すということになる。正しい方向だが、もしそうしたスローガンが打ち出されるとすれば、それだけそうした問題の深刻さ、緊急さを指導部が認識している反映ということにもなる。

少なくとも中央の5カ年計画は、形骸化し、実態的な意味はあまりなくなってきているのかもしれず、より省庁毎あるいは地方政府毎の計画を見る必要があるのかもしれない。ただ、そうしたことを踏まえながらも、中国経済の問題はどこにあるのか、その時々の指導層が中国経済の課題をどう認識しているかを見る上では、中央の計画はやはり重要な手掛りであり、その限りで引き続き注視していくことは必要だ。


(資料:人民日報中国語版、共産党第17届5中全会報道より筆者作成)

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