交通史観が示唆する市街地活性化の行く末

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2010年07月14日

交通史観が示唆する市街地活性化の行く末(地図)

宮城県石巻市は江戸時代から仙台藩62万石の貿易拠点として、また北上川から太平洋への乗換港として発展した街である。中州を挟んだ北上川の両岸には南部藩はじめ北上川流域諸藩の蔵屋敷が並んでいた。地図をみると福岡の中洲、大阪の中ノ島、パリのシテ島、NYのマンハッタンと似た地形である。旧市街地は主に北上川の西岸に広がり、川に並走する道に沿って街割された。山を背に、前面には北上川を向いていた。

明治になってからも水上交通の拠点であることに変わりなく、人や物資が行き交っていた。中州を挟んだ北上川の両岸には内海橋が架かり、これに続く通りは「橋通り」と呼ばれた。橋通りと、これに交差する北上川から一筋奥の通りが当時のメインストリートで、警察署や銀行本店が軒を並べた。昭和30年には丸光百貨店が開店した。北上川沿岸の汽船の発着場や河口にあった魚市場から立寄りやすく人の往来が多かった。

街に最初の変化があったのは昭和50年であった。最高路線価地点が「橋通り」から、北上川と石巻駅の中間地点にある「立町通り」に移った。当時の新聞は「橋通りと並んだ立町二丁目」という見出しで伝えている。きっかけは当時宮城県を中心に展開していたチェーンストア「エンドーチェーン」の開店だったようだ。立町商店街にアーケードが整備されたことも奏功し、人の流れは旧市街地(新聞によれば「裏町中央通」)から立町通りに移ってきた。このころがアーケード型のいわゆる中心商店街がもっとも繁盛した時代だ。買い物客は周辺各地から広く電車で集まってきた。

その後20年で最高路線価は立町通りから駅前に移る。平成7年、石巻の最高路線価地点は「立町通り七十七銀行石巻支店前」から「駅前通りケンタッキーフライドチキン前」になった。先に述べた丸光百貨店を前身とする「さくらの百貨店」が駅前に移転開業し、石巻初のシネコンが進出したことで話題を集めたのはその翌年のことである。私も何度か行った。一方、立町通りのエンドーチェーンは夏に取り壊され、秋には有料駐車場になった。

せめぎあいの末に石巻の中心が北上川河岸から駅前に移った背景には交通手段の変化があった。石巻の発展を支えた北上川の水運から、主力が鉄道輸送に移ったのである。もっとも石巻に鉄道が開通したのは大正時代であるが、それに伴って市街地が移動するには1~2代の世代交替が必要だった。

そして平成22年。最高路線価地点が駅前に移って15年経った。先日発表された路線価をみると、石巻駅前通りが51000円と水準こそ低いがまだ第一位の座を守っていた。一方で石巻駅の西北3キロにある「蛇田地域」が48000円と肉薄していた。高速道路(三陸自動車道)のインターチェンジのふもとに大型ショッピングセンターが次々と建ち、拠点病院も移転してきたりしてここ10年で大きく発展してきた地域である。

さらに驚いたのが、それまで石巻バイパス沿いのロードサイド商業集積地が市内第2位であったのが、今年は蛇田地域に抜かれたことだ。

蛇田地域の発展の裏で駅前通りの衰退著しい。石巻唯一の百貨店「さくらの百貨店」が郊外に次々と出店する大型店におされてとうとう閉店してしまった。空いたビルには石巻市役所が今年入った。中心市街地の衰退を食い止めるべく努力したのであるが、路線価の下げ幅は蛇田地域より大きかった。

振り返ると、石巻の中心地は北上川河岸にはじまり、長年のせめぎあいを経ながら駅前に移ったが、それから10数年で、ロードサイドを経てインターチェンジのふもとに変わりつつある。底流には河川から鉄道へ、そしてバイパスを経て高速道路に至る主要交通路の変遷があった。

街自体も「大ぶり」になってきた。鉄道の時代まで人は徒歩で回遊していたが90年代後半から軽自動車を足代りにするようになった。喩えれば徒歩の時代に比べはるかに「大また」で歩くようになった。店から店へと車で渡り、重さを厭わずまとめ買いをするように買い物スタイルも変化した。昔ながらの商店街に比べれば、インターチェンジのふもとに広がる商業集積はあまりに大きくガリバー旅行記の巨人の王国のようである。反面、近未来の足を得て「大また」で歩くようになった現代人にコンパクトシティはいかにも狭い。

根源的には、市街地の場所と在り様は交通手段で規定されると考える。そして歴史は辺境で作られる。新しいスキームを作るにあたって過去のモノとの軋轢を避けようと思えば、そのフィールドに新天地が選ばれるのも無理はない。市街地の栄枯盛衰も同じである。新しい形の街は郊外の新天地に作られる。郊外の新興開発地にショッピングセンターが進出し、立地間競争をまとった世代間競争の末に中心市街地がシャッター街になる。そして街の中心が移動しつつ周辺を取り込んで拡大してゆくパターンは、程度の差こそあれ全国どこでも観察できる。これは不可逆的な発展法則のひとつなのではなかろうか。交通史観にこれからの市街地活性化を考えるヒントが隠されていると思う。

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鈴木 文彦
執筆者紹介

政策調査部

主任研究員 鈴木 文彦