工作機械産業から見えるものづくり立国の転換期

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2010年07月07日

  • 水上 貴史
日本のものづくりの中核ともいえる工作機械産業において、2009年は大きな変革の年であった。1982年に世界第一位の工作機械生産国になり、その後も不動の存在であったが、2009年、ついにその座を中国に譲ることになった。リーマン・ショックの影響で世界的にも需要が落ち込むなか、上位国の中で唯一、中国だけが生産高を伸ばしている。しかも、あと2~3年でリーマン・ショック前の日本の生産高に追いつかんとする勢いである。

業界内では今、日本メーカーと新興国メーカーが互いの顧客層をめぐって激しい競合が発生している。これまで、高性能の機種を多数輩出し続けてきた日本メーカーにとって、技術力に差がある新興国メーカーを意識することは従来あまりなかった。ところが、近年、状況が一転している。

日本の工作機械が世界的に高い信頼性を得ている理由の一つに、日本の自動車メーカーで採用されていることが挙げられる。日本製は、価格面で中国製の倍程度もするのも多いが、性能面で代替が利かず、優位性を誇ってきた。ところが、2008年10月に、ホンダのタイ工場で中国製やインド製の工作機械が導入されたことが発表されて業界に衝撃が走った。ホンダの見解によれば、日本メーカーの得意とする高度で優秀な機械を作ることはまだ中国やインドには難しい模様であるが、今後、現地化を進めていくうえで、生産国やその隣国の工作機械を採用するニーズは増えていくという。

日本メーカーの中には、すでにこのような中国製やインド製の製品に対抗できるよう、低価格機種の商品ラインナップを拡充し始めているところもある。ものづくり立国として、高付加価値商品で切り開いてきた従来路線からは異例の動きである。厳しい品質や耐久性を要求する自動車に対して、新興国メーカーの製品が採用されたことで、いずれ大きな市場を奪われかねないと危惧し始めた様子がうかがえる。

2010年4月には、中国の自動車メーカー、比亜迪汽車(BYDオート)が、金型大手のオギハラの館林工場を買収するというニュースが報じられた。金型は主に工作機械から作製されるものであり、密接なつながりがある。BYDは館林工場で生産する自動車のドアやフェンダーなどの金型を中国に持ち込み、生産ラインで活用するとともに、中国人社員への技術継承も図り、国際的な競争力を高める模様である。

新興国メーカーの技術レベルは今後も段階的に向上していくと予想される。新興国メーカーが低コストを武器に市場を広げていくようであれば、日本メーカーはよりいっそうコストパフォーマンスに優れた製品を生み出さなければならない。確かなことは、技術的優位に立脚した戦略だけでは国際展開を図っていくのは厳しくなっていることであり、販売後のサポートサービスの向上や、顧客レベルに見合った商品開発、戦略的な参入・撤退判断等、様々な対策を駆使して展開を図っていくことが望まれる。

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