医療・介護で経済成長は本当か

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2010年07月05日

  • 齋藤 哲史
菅内閣総理大臣が、所信表明演説で『第三の道』による経済建て直しを宣言した。『第三の道』とは、「経済社会が抱える課題の解決を新たな需要や雇用創出のきっかけとし、それを成長につなげようとする政策」とされ、「新成長戦略」では、その1分野として「医療・介護・健康関連産業の需要に見合った産業育成と雇用の創出」があげられている。急速に高齢化が進む我が国では、高齢者向けの医療・介護サービスの潜在需要が伸びていくことは確実なため、日本経済を牽引する成長産業に育つと期待されているのだろう。しかしながら、この期待は外れる公算が大きい。

まずは数値例をあげて、医療が経済成長に寄与することを説明しよう。

月給50万円の人が、自然治癒に任せると1年間の安静が必要であるが、100万円支払って治療を受ければ1ヶ月で治癒する病気に罹ったとする。治療費はゼロだが、年間で600万円の収入を失うよりも、100万円を支払って、残りの11ヶ月で550万円を稼ぐほうが総所得は大きくなる。このように、医療サービスを受けることで失わずにすむ所得が治療代を上回る限り、医療への投資収益率はプラスとなり、経済成長に寄与するというわけである。

しかし、このことは裏を返すと、生産活動から退いた人(主に高齢者)への医療の投資収益率がマイナス、つまり経済成長には寄与しないことを意味する。1980年代には、医療費の約30%を65歳以上が消費していたが、現在ではこの割合は50%強、2050年には70%を超えると予測されている。医療の経済的効果は、低下の一途を辿ることがほぼ確実なのである。

菅総理は、公共事業中心の『第一の道』について、「高度経済成長の時代には、道路、港湾、空港などの整備が生産性の向上をもたらし、経済成長の原動力となりました。しかし、基礎的なインフラが整備された八十年代になると、この投資と経済効果の関係が崩壊し、九十年代以降は様相が全く変わりました。バブル崩壊以降に行われた巨額の公共事業の多くは、結局、有効な成果を上げませんでした」と評している。これを医療に当て嵌めると、生産増(将来を含む)につながる年少者や現役世代への医療サービスの提供は「経済成長の原動力となった高度経済成長の時代の公共時代」だが、高齢者への医療サービスは「巨額だが、有効な成果を上げなかったバブル崩壊以降の公共事業」になる恐れがあろう。医療・介護サービスを経済成長の牽引役にと考える『第三の道』は、結局のところ、90年代以降の『第一の道』のコンクリートを人に置き換えただけで、需要と雇用は創出できても、経済成長の原動力とはなり得ないのではないだろうか。

生産増につながる見込みの乏しい高齢者の医療・介護サービスに投入される労働力が、このまま増大し続けると、日本経済は成長力を失って、永続的な停滞に陥る蓋然性が高い。そうなると、「自分たちのサービスを確保するためには、高齢者世代のサービス切捨ても止むなし」という緊急避難的な心理が現役世代に拡がり、深刻な世代間闘争に発展する可能性も否めない。こうした事態を回避するには、医療の投資収益率を改善するための退職年齢の引き上げや、費用負担の一部を高齢者世代にシフトさせる保険財政改革※1を早急に進める必要がある。

我が国を取り巻く状況が激変したにもかかわらず、これまでのような弥縫策を続けていけば、近い将来、日本経済が立ち行かなくなるのは明らかだろう。菅総理には、冷徹な認識に基づいた改革の断行を期待したい。

(※1)単年度で収支を均衡させている医療保険と介護保険を、100年先までの収支を均衡させる年金保険と同じ財政方式に変更して、積立金を速やかに蓄える必要がある。

国立社会保険

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