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忘れられない"師"の言葉(改)

2009年06月12日

田中 宏太郎

先日、ある製造業の工場を見学する機会があった。この分野では世界一だという誇りを持ったモノ作りの現場や、そこで行われている地道な改善活動を見て、とても嬉しく思った。我々の世代は、次の世代に伝えなければならないことがまだまだ多くある、と思い出させてくれた。

技術は必ず進歩する、つまり今の技術は必ず陳腐化する。仕方がないことである。しかし陳腐化しない普遍的なこともある。そのひとつは、若い世代にはなかなか理解しにくいかもしれないが、技術者魂とでも呼ぶべき、ポリシーやスタンスである。

今回のコラムは一年前の再掲載である。前回のコラムに、それらがよりリアルにわかるように追記してみた。

◆             ◆             ◆

2008年2月、3月と金融取引に関わるシステム障害が報道された。昨今の情報システムは複雑化・肥大化に拍車がかかり、社会的影響も大きくなった。
システム障害を聞くたび思い出すのは、私の若き日の“師”の言葉である。“師”とは、私が入社7年目から11年目くらいまで、直接、指導してくれた当時の担当役員である。“師”は、若手や中堅のエンジニアをよく自室に呼び、システム構想書やシステム設計書等をレビューした。レビューの際に使うのは必ず赤鉛筆と決まっており、私の作成資料は、図や文字が読めなくなる程、添削されたものだった。
情報システムの規模も役割も巨大化した今ほど、“師”の言葉が響く時もない。

◆「君が後悔しない範囲だ」

システムに何らかの変更を加えた場合、変更した箇所の動作に問題がないかをテストすることは当然である。一方、情報システムは複雑に連携しあっている。その結果、変更を施したシステムに関連する周辺システムをどの範囲までテストするかは人員や時間とのトレードオフであり、難しい判断を迫られる。
その昔、証券会社の商品である「株式」の時価情報管理システムの改定を行った時のことである。改定とは、業種を表す属性の値が細分化されて業種数が増えたことに伴う、時価情報管理システムとその周辺システムの修正である。周辺システムの中には同様の改定が必要なものもあれば、修正不要と思われるものもあった。どの周辺システムまでテストすべきか。すべてをテストすれば工数は数十倍に膨れ上がり、予算と要員確保の面で不可能と思われた。
不思議なもので、迷っているときほど“師”からお呼びがかかる。私は改定の背景や修正の概要等を伝え、最後に迷いながらも“師”に上記の悩みを言った。「周辺システムのテストなのですが、本体の数十倍くらいかかりそうなのですが…」と語尾を濁した。“師”はしばらくの沈黙の後、言った。「すべてテストしなさい」
私は、雷が落ちるのを覚悟しながら勇気を振り絞って「予算と要員の面でそれは厳しいです」と訴えた。しかし“師”は意外なほど物静かにこう言った。
「田中君、システム障害はテストしたところからは出ないんですよ。必ずテストしていないところから出る、当然なんです。あっちもこっちもテストした、思いつくところはすべてテストした、これでシステム障害になったら仕方がないと思える位テストしたならいい。しかし、もしシステム障害が出た際に、あそこもテストしておけば良かった等と後悔することだけは絶対にするな。後悔しそうな箇所が思い浮かぶようならすべてテストしなさい。テストの妥当な範囲とは、君が後悔しない範囲だ」

◆「君はそれで満足か」

分散系の株式トレーディングサポートシステムを新規構築した時のことである。メインフレームで稼働している銘柄基本属性情報を分散系(UNIX系)にレプリケーションするのだが、オンラインリアルタイム方式・ディレイドオンライン方式・バッチ方式のうち、様々な制約条件からバッチ方式とした。これで良しとしたのは、そもそも銘柄基本属性情報を事前に予定登録できるしくみがあり、また緊急に変更する頻度が当時は著しく低く、業務上の支障はないと判断したからである。
ところがこれに起因する不測の事態が発生した。私は“師”に呼ばれることを覚悟し、なぜオンライン方式としなかったか、そのすべてに答えるべく設計根拠や制約条件等の資料を整えた。案の定、翌朝に呼ばれ、“師”のもとへ向かった。
「田中君、株式トレーディングサポートシステムの銘柄基本情報のデータ転送だが、バッチ方式で転送しているようだな」「はい、実は…」資料を出して説明しようとする私を遮って、“師”は言った。「君はそれで満足か」
何も言い返せなかった。用意した資料は、すべて無駄となった。

◆             ◆             ◆

1つ目の件では、私は迷いをふっきり、思いつくところはすべてテストするよう指示した。その結果、極めて関連の薄いと思われる周辺システムに修正を施さなければシステム障害を起こしかねないことを見出した。 2つ目の件では、後日、保守作業の中で何とかオンライン方式への変更を実行した。

昨今、モノ作り能力の低下を危惧する記事をよく目にする。映像を駆使した知の継承の取り組みもある。しかし、人の支えとなり、人を突き動かし、革新の原動力になるのは、身が引き締まるような、震えるような、魂のこもった言葉である。知の継承は、心の継承、人づくりでなければならない。新社会人と思しき面々の緊張気味の表情を見るに付け、そんなことを思う。

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