国内成長戦略への微妙な違和感

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2009年06月10日

  • 佐藤 清一郎

経済が成長すれば、多くの経済問題は解決する。だから、まず、成長優先の政策が大事だ。よく聞く話である。日本も、1990年代初めにバブル経済が崩壊した後、次なる成長(たとえば、高付加価値化戦略など)を目指して、様々な対策を打った。成長すれば、借金などの問題も解決するとの発想で、毎年、借金を重ねた。結果、経済対策のおかげで、民間部門(企業、家計)のバランスシートは改善したが、一方で、国の債務残高は膨大なものとなり、バブル崩壊から20年近く経過しようとしている今でも、債務削減への明確な道筋が見えない。これでは、様々な対策を打ったと言っても、それは単に、民間の借金を国が肩代わりしただけではないかと言われても仕方がない状況である。

この現実を目の当たりにすると、日本では、成長戦略の発想が、必ずしも妥当ではないのではとの疑問がわいてくる。何故、成長戦略が、あまりうまくいかないのか。その一番の原因は、日本では、バブル崩壊後に経済の発展段階ステージが、成長から成熟へ変わったのに、それを、きちんと認識してこなかったことにある。政府に限らず一般国民も、対策を打って努力すれば、また、バブル経済以前のような成長路線が戻ると信じていた。しかし、現実は、低成長、高齢化、少子化である。実は、成長戦略の発想で努力していた時代から、これら問題との戦いが始まっていたのである。

日本の経済・社会構造を考えた場合、今後は、成長というよりも、介護や育児、地域コミュニティ再生といった、成長には直接関係ないようなことが重要な仕事になる。資源制約を前提とすれば、成長のためのインフラ整備は最小限にとどめ、これまで成長優先で犠牲になってきた分野に力点を移すべきだ。もちろん、成長に関係がないといっても、こうした分野も経済活動としての貢献(介護市場、育児市場など)は存在するので、結果としては、成長に寄与することになる。

永遠にそうであるかは別にして、少なくとも今の日本には、もはや、ダイナミックな成長という文字は似合わない。経済インフラ充実、高齢者割合増加、若年者割合減少、どう考えても、今後、高成長する構造ではない。成長が似合うのは、社会インフラが未整備で潜在的労働力が豊富に存在する途上国である。たとえば、ベトナムは、整備すべき成長のためのインフラが多数存在し、また、若年層の割合が極めて高いため、将来の爆発的高成長を予感させる。昔の日本のようだ。

今後、成長しないと問題は解決しないというような漠然とした成長戦略の発想はやめて、国内向けには、成長のためではなく、社会安定のためのお金を使い、一方で、成長のためのお金は、海外で使うべきだ。すなわち、日本の資源(人、お金、技術など)は、その多くを途上国、特には、アジアに振り向けるべきだ。成長力ある所に、人、もの、お金を投下するのは、資源の効率的配分の視点からも理にかなっている。このようにして振り向けた資源は、将来、収益を生むから、結果として、日本の成長に寄与することになる。日本国内で、成長戦略をあきらめた結果、日本に成長が戻ってくるという皮肉な話である。

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