見失われたリスクの時代-サブプライム、汚染米、年金-
2008年10月16日
ここ数ヶ月のニュースは、自己責任が言われる中で、「リスク」がいかに見えないものになっているかをまざまざと見せつけている。その例には、サブプライムローンと証券化、混入された汚染米、消えた年金など枚挙に暇がない。
「リスク」とは何か。広辞苑によれば「危険」などという無意味な一語が出てくるのみであるが、リスクにはふたつの側面がある。1つは「危険なことが起こる『可能性』」であり、通常はこの意味で用いられる。ここでは、危険であることが「分かる」ほどリスクであると認識される。もう1つは経済学で規定される「ある事象の変動に関する『不確実性』」を意味する。この場合、危険であることが「分からない」ことがリスクであると認識される。金融工学は、リスクを計量化しその認識度を高めることによって可視化し、リスクを低減してきた。しかしながら、現在のサブプライムローンに端を発した金融危機は「不確実性」を低減するために操作を繰り返した結果、かえってリスクが「見えなく」なり、曖昧な「可能性」へと転化してしまったことが問題であった。
リスクの不確実性を減らすには、リスクの中身を知ることが大前提である。しかし、証券化も、汚染米も、消えた年金も、関係者がリスクの中身を知らない(あるいは知ろうとしない)まま事態が進行した結果生じたものといえる。では、「不確実性」を知る前提は何か。それは情報と信用である。すなわち知る対象としての情報とその情報の正確性を担保する信用に基づいて不確実性の度合いを知るのである。しかし、情報が適切に開示されず、かつて信用していた情報の出し手が虚偽を謀れば、利用者に不確実性は見えない。今日のさまざまな危機はこの情報と信用の崩壊によって生み出されたといえる。
では、情報と信用の崩壊はなぜ起きたか。それは、モラルの問題というよりも、情報と信用を扱う者が狭い専門性に埋没したからであると私は考える。さまざまな分野の専門性が増した現代社会では、他者の情報に対する依存度が増す一方、特殊な知識や技術をわずかに取得しただけの者が専門家とみなされる場合が少なくない。しかしこのような俄か専門家が自己の扱う分野の真のリスクや影響など知る由もない。まして短期的な成果を問われる今日、不確かなリスクがどのように他者に及ぶかなど考慮の範疇外となっていた。このような信用の軽視とリスクの押し付け合いがリスクを不可視化し、回り巡ってグローバル化の中で世界の至るところで噴出しているのである。
現在のサブプライム危機も年金危機も、現状では政府レベルでの事後処理に期待するほかない。しかし、我々個々人も、自らが見失った信用とリスクの認識の積み重ねがこの問題を惹き起こした原因のひとつであることを、自己の問題として再認識する必要があろう。
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