「コピー」と「パクリ」とインターネット

RSS

2007年10月05日

  • 櫻岡 崇
近年、インターネットの普及や国際化を受けて、コンテンツの流通チャンネルは多様化しており、著作権管理に関わる問題は複雑化し、流通の阻害要因化する懸念があった。ところが、米Apple社のジョブスCEOの掛け声をきっかけに海外の音楽配信業界では、DRM(Digital Rights Management)フリーのコンテンツ配信が拡大する様相を見せている。米Amazon社も本格的にDRMフリーのMP3データのダウンロード販売を開始した。

一方、日本ではそうしたDRMによるコピー制限を緩和する動きは鈍い。むしろ、最近日本で取り上げられている検討議題は権利保護を前提としたものが中心である。著作権保護期間の延長(著作者の死後50年から70年へ)や地上デジタル放送のコピーワンスの9回コピー可能への変更などである。日本は、固定ブロードバンドや携帯電話ネットの普及で、世界的に見ても安価で充実したネットインフラを有しており、ブログ投稿数でもトップの座にあるのに比して、コンテンツ制作・流通に関する議論のポイントは時代遅れの印象を拭えない。

大きな実績のある著作者らや放送・出版などの流通事業者などの、いわゆる既得権益者は、今後もコンテンツ流通の中心に居つづけようと考えているのであろうか。既に世界の音楽レコード業界が経験したように、インターネットの出現と浸透によって、コンテンツ流通は大きな変革期を迎えたのである。

近年のCGM(Consumer Generated Media)の台頭によって、今後コンテンツ制作者としてのインターネットの顔がより大きく見えてくることになろう。その時、既成のプラットフォーム上で活動してきた著作者や放送・出版などの流通事業者は、インターネット上で創作されたコンテンツを参考にしたり、調達したりする立場になる可能性が高いのである。

コンテンツの制作は、多かれ少なかれ過去の様々な作品のエッセンスを取り入れて成り立っている側面がある。これをどの程度許容するか、つまり何を持ってコピーと認定するかは、実際には難しい問題である。近年はデジタル化によって、完全なコピーが容易に複製される点が問題として取り上げられることが多いけれども、CGMが発展していくと、黙って利用するいわゆる「パクリ」のほうが重要な問題となろう。

覚えている方も多いと思うが、少し前に、日本では「のまネコ問題」のように、インターネット発のコンテンツ(当該問題の場合は、2ちゃんねるの「モナー」というキャラクター)の著作権等の取扱が大きな社会問題化したことがある。もちろん、「電車男」のように問題化せずに商用コンテンツ化した例もある。これら結果の違いを生んだ原因は、商用化する事業者の対応で見ると、コンプライアンス的というよりモラル的な側面もあるのではないだろうか。

日本でも、ニコニコ動画を始めとする動画投稿サイトの開設ラッシュを迎え、今後商業的な成功を目指した様々な事業展開が見られることであろう。その時に、既存著作物の利用に対して、あまりに窮屈な社会となっていれば、日本のコンテンツ創作力が阻害されてしまう。将来のインターネットの創作力に期待するには、ルールの整備だけでなく、社会の暖かい目も必要であろう。

このコンテンツの著作権は、株式会社大和総研に帰属します。著作権法上、転載、翻案、翻訳、要約等は、大和総研の許諾が必要です。大和総研の許諾がない転載、翻案、翻訳、要約、および法令に従わない引用等は、違法行為です。著作権侵害等の行為には、法的手続きを行うこともあります。また、掲載されている執筆者の所属・肩書きは現時点のものとなります。