中国における投資主導経済の行方
2007年03月29日
今年1-2月の累計で、中国の輸出は前年同期比およそ40%増加し、貿易収支は同じく3.3倍に膨らんだ。固定資産投資の増勢は少々鈍化しているが、銀行融資とその裏にある外貨の流入という蛇口が緩みっぱなしなため、今度は株式市場が劇的な流動性相場に沸いている。成長パターンの転換はつくづく難しい。
もちろん、投資・輸出主導型の高成長もいつかは終わるのだが、投資率が過去の高成長国のレベルを超え、なおも上昇過程にある現在、先行国の経験は、中国の限界点を占う上での有効性を失いつつある。中国の成長パターンの転換(或いは高成長の終焉)がどのように実現するかの手がかりは、中国の「特殊性」をじっくり吟味する作業なしには得られそうにない。
例えば、今までのところ、中国にはきちんと機能する破産法が不在であり、支払い不能会社が追い貸しを受けて(或いは不渡りを連発しても)生き延びることが容易だといわれてきた。銀行の預貸率は低下しており、利払いの原資を提供し続け、貸出残高を維持し、或いは増やすことに、銀行はやぶさかではない。もちろん、追い貸しについて言えば中国特有の現象ではないが、(事実上の)不良債権の増加が銀行自体の支払い能力を毀損し、貸出姿勢の慎重化や融資の回収につながることがない点に、中国と某隣国との大きな違いがある。こうした信用力に左右されない無尽蔵の金融的裏づけが、際限のない投資競争を生んできた一つの背景だと考えられるのだが、これがどの程度変わるかは、今年6月に施行が予定される「企業破産法」の実効性、更には上場を果たした国有銀行のガバナンスの変化になどに依存する。前者をやや大袈裟に言えば、中国における法治(司法の独立性)が試されることでもあるし、後者は、国有銀行のトップ人事が、共産党マターから離れるのかということでもある。
また、成長のひずみとして挙げられることの多い環境問題も、中国の独自性から離れては論じられない。環境悪化に歯止めがかかるかどうかは、一つに、環境悪化をもたらす主体(例えば企業)と、その被害を受ける人々の力関係で決まる。被害者は往々にして微力であり、これはどの国でも大差はないが、環境悪化主体と政府の距離の近さ、報道管制の存在などから、被害者の声が末端行政レベルで各個撃破されれば、環境対策を社会的要求に押し上げ、政治を動かすという自浄作用が機能しなくなる。その結果、企業は環境コストを度外視した、低コストの生産と生産能力の拡張を維持することが可能になる。ここでいう自浄作用を機能させるための根本的な方策は、当たり前だが真っ当な選挙制度の確立である。
輸出は生産能力拡大の結果だから、現在の成長パターンを一言で言えば、投資主導型の成長であるが、投資の止め処ない拡大は、恐らく、中国の社会的、政治的、経済的システムの中に、それを抑止するメカニズムが存在していないことに起因する。従って、システムの実効性のある改革が、投資主導経済からの転換には不可欠ということになる。
革命でも起こらない限り、制度の変革はゆるゆるとしか進まないものだが、それは政治的意思にも少なからず依存する。中国政府は最近、社会主義民主という新語を多用するようになっているが、これは限定された民主主義といういささか中途半端な時期を、恐らくはかなりの長期にわたって、今後の中国が経験するであろうことを示唆している。となれば一事が万事、社会的、政治的、経済的な制度の相互補完性などから、システムの変革はやはりゆるゆるとしか進まないと見るのが無難である。結果として、投資の増勢もゆっくりと沈静化する可能性が高まり、中国経済のハードランディングはさほど深刻な懸念に値しないということにもなりそうだが、この点は著しく不確実性である。
もちろん、投資・輸出主導型の高成長もいつかは終わるのだが、投資率が過去の高成長国のレベルを超え、なおも上昇過程にある現在、先行国の経験は、中国の限界点を占う上での有効性を失いつつある。中国の成長パターンの転換(或いは高成長の終焉)がどのように実現するかの手がかりは、中国の「特殊性」をじっくり吟味する作業なしには得られそうにない。
例えば、今までのところ、中国にはきちんと機能する破産法が不在であり、支払い不能会社が追い貸しを受けて(或いは不渡りを連発しても)生き延びることが容易だといわれてきた。銀行の預貸率は低下しており、利払いの原資を提供し続け、貸出残高を維持し、或いは増やすことに、銀行はやぶさかではない。もちろん、追い貸しについて言えば中国特有の現象ではないが、(事実上の)不良債権の増加が銀行自体の支払い能力を毀損し、貸出姿勢の慎重化や融資の回収につながることがない点に、中国と某隣国との大きな違いがある。こうした信用力に左右されない無尽蔵の金融的裏づけが、際限のない投資競争を生んできた一つの背景だと考えられるのだが、これがどの程度変わるかは、今年6月に施行が予定される「企業破産法」の実効性、更には上場を果たした国有銀行のガバナンスの変化になどに依存する。前者をやや大袈裟に言えば、中国における法治(司法の独立性)が試されることでもあるし、後者は、国有銀行のトップ人事が、共産党マターから離れるのかということでもある。
また、成長のひずみとして挙げられることの多い環境問題も、中国の独自性から離れては論じられない。環境悪化に歯止めがかかるかどうかは、一つに、環境悪化をもたらす主体(例えば企業)と、その被害を受ける人々の力関係で決まる。被害者は往々にして微力であり、これはどの国でも大差はないが、環境悪化主体と政府の距離の近さ、報道管制の存在などから、被害者の声が末端行政レベルで各個撃破されれば、環境対策を社会的要求に押し上げ、政治を動かすという自浄作用が機能しなくなる。その結果、企業は環境コストを度外視した、低コストの生産と生産能力の拡張を維持することが可能になる。ここでいう自浄作用を機能させるための根本的な方策は、当たり前だが真っ当な選挙制度の確立である。
輸出は生産能力拡大の結果だから、現在の成長パターンを一言で言えば、投資主導型の成長であるが、投資の止め処ない拡大は、恐らく、中国の社会的、政治的、経済的システムの中に、それを抑止するメカニズムが存在していないことに起因する。従って、システムの実効性のある改革が、投資主導経済からの転換には不可欠ということになる。
革命でも起こらない限り、制度の変革はゆるゆるとしか進まないものだが、それは政治的意思にも少なからず依存する。中国政府は最近、社会主義民主という新語を多用するようになっているが、これは限定された民主主義といういささか中途半端な時期を、恐らくはかなりの長期にわたって、今後の中国が経験するであろうことを示唆している。となれば一事が万事、社会的、政治的、経済的な制度の相互補完性などから、システムの変革はやはりゆるゆるとしか進まないと見るのが無難である。結果として、投資の増勢もゆっくりと沈静化する可能性が高まり、中国経済のハードランディングはさほど深刻な懸念に値しないということにもなりそうだが、この点は著しく不確実性である。
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