日本の街並みと狩野派

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2005年11月01日

  • 原田 泰

日本の街並みはなぜ美しくないのだろうか。

この夏、記憶を失ったピアノ弾きの物語がピアノマンとして喧伝されたが、やがてピアノの弾けないドイツの若者と分かった。ピアノマンの生まれたドイツの村をニュースで見た日本の人々は、その美しさに唖然としたのではないだろうか。

美しいのは他の家と自然との調和が取れているからだ。調和が取れているのは、ヨーロッパ人は、つまらない個性を主張しないからだ。

日本人は、なぜ個性を主張するのだろうか。教育は個性や特性を伸ばすものだと、なぜ熱心に主張するのだろうか。少なくとも、このような主張は、日本の伝統ではない。

江戸時代、城郭の障壁画を書くためにお抱え絵師としての地位を確立した狩野派は、その子孫達に、徹底的に真似ることを要求した。

狩野宗家に身を置く永清安信は、その『画道要訣』において、「画に質あり学あり。質とは天性の質あり、学とは学びてその道を勤めてその術をえたるをいえり。天質の器用を以って書き出すの妙は妙といえど是は尊ばず。いかんとなれば後世の法と成しがたし、之を学んで至るは苦しみ伝うれども不代不易の道備わって、子孫是を受けて失わず」(武田恒夫『狩野派絵画史』吉川弘文館、1995年より引用。引用文は適宜省略している)と書いている。天性の質は尊ばないで学んで得た術を尊ぶ。なぜなら、この術は子孫が受けることができるからだという。障壁画は芸術よりも工芸品であり、工芸品は伝統によってこそ輝くと認識していたからだろう。

狩野派は、この術によって、徳川300年間にわたって、お抱え絵師としての立場を守り通した。確かに、狩野派は、最終的には繰り返しと創造性の欠如によって消滅したが、それでも、明治に狩野芳崖という天才を残した。

日本の街並みが狩野派の絵画のように美しければ、それはヨーロッパの街並みよりも美しい。住宅は巨大な家具のようなものだから、巨大な絵画である障壁画に類似している。工芸品は子孫に伝えるものであるから、永続的な価値のある住宅にも類似している。つまらない個性よりも、学んで得た術を尊ぶという思い切りを良しとすれば、日本の街並みも美しくなるのではないだろうか。

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