二極化はなぜ進むのか?再分配強化は必要か?

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2005年10月31日

  • 高橋 正明

日本人全員がコイン投げゲームに参加すると考えてみよう。ゲームを十分な回数繰り返すと、各人の持ち金はどうなっているだろうか。その答えは、「持ち金が少なかった人から多かった人に金が移動している」である。運任せ(確率1/2)の“公平”なゲームなのに、なぜ持ち金が多いほど有利かというと、金が多ければ少々負けが込んでもゲームを続けられるが、少ないと金が尽きてゲームオーバーになるからである。持ち金が少ない人から先に脱落していくということは、脱落者の当初の持ち金が、ゲームに残った人々に移動したことを意味している。個々の勝負は公平でも、ゲーム全体では持ち金の多寡が勝負を決めるのである。

ゲームをこのまま続ければ、一部の人に金が集中する一方で金が底をつく人が続出する“二極化”が進み、ゲームの活気が失われる。したがって、活気を維持するためには、儲かっている人から儲けの一部を回収し、脱落者に分配する「再分配メカニズム」を導入して、脱落者に再挑戦の機会を与えることが必要になる。もともと運任せのゲームなのだから、儲かっている人も、儲けの一部を回収されることを「不公平」とは受け止めないだろう。

次に、現実の経済を考えよう。仕事選びや資産運用といった個人の経済行動は、結果が実力だけではなく、運・不運にも左右される一種の「賭け」でもある。ということは、再挑戦が困難になるほど、「金持ち有利の法則」が働き、「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる」「水に落ちた犬は打たれる」という二極化に拍車がかかる。

経済が高成長していれば、運悪く負け続けの人でも、再挑戦に必要な金を稼げる働き口が見つかるから、二極化は進みにくい。しかし、今の日本のような低成長・ゼロ成長経済では、再挑戦資金を得られる可能性は低くなるから、二極化メカニズムの影響が無視できなくなる。運や初期条件(親が金持ちか・生まれつき才能に恵まれているか)がものを言う、まじめにこつこつ働いても報われない社会になっていくということである。宝くじに当たるかどうかで人生が決まる社会、というたとえがわかりやすいかもしれない。

このような社会では、「こつこつ働いてそれなりの成功を目指すより『宝くじ』で大当たりすることに期待する人」や「どちらも諦めて『不戦敗』に甘んじる人」が出現しても不思議ではない。実際、いわゆるフリーターの一部が前者、ニートの一部が後者に当てはまるように思える(もちろん、これだけで説明できる単純なものではないが)。

この仮説が正しければ、経済活動から脱落する人を減らすためには、二極化メカニズムを補正する再分配メカニズムの導入、すなわち税の累進度を高めて「負け組」の再挑戦資金(教育・職業訓練など)を増額することが効果的になる(※1)。運や初期条件が味方して大儲けした分の一部を再分配に回すことは、コイン投げゲームと同様に考えれば、不公平でもなんでもない。

現在の日本では、「再分配を強化すると労働意欲が低下して経済成長が損なわれる」「二極化が成長を刺激する」という考え方が主流のようである。このような主張はいわゆる「勝ち組」によって唱えられているが、人間には運を実力と思い込む自信過剰の傾向があることが行動経済学で明らかになっていることも考慮する必要がある。それに、こつこつ努力する人を減らす経済構造が、日本経済の安定成長を保証するとは考えにくい。再分配メカニズムを整えて、脱落者を減らす=労働力を増やす方策こそ、公平かつ実効的ではないだろうか。

(※1) 税率は高いが経済パフォーマンスに優れたデンマークなどがこれに近い。日本の再分配は「都市から地方」「若者から高齢者」に偏っている(Steinmo)ため、再挑戦には役立たない。

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