ローカルスタンダードの存在意義

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2004年04月01日

  • 賀来 景英
「年度」という時間の区切り方 —— 4月から3月までを、1月から12月までの「暦年」とならんで基礎的な時間の括り方とすること、は私たちにとって、特別に馴染みやすいものに思われる。よく知られているように、政府の財政運営や学校教育にとっての年の基本単位、暦年とは別の「年度」を、アメリカも持つが(10月~9月の財政年度等)、これが本来の「用途」を超えて一般的に使われることはない。日本では、これに対し、GDP統計をはじめ、こと経済に関する限り、暦年ベースより年度ベースで表現される方が一般的だ。寡聞にして、日本での「年度」採用の経緯や根拠を知らないが、多分私たちの国民的季節感覚にマッチしたものだったため、汎用されるに至ったのだろう。それとも「お上」の強制力の所産なのだろうか。

私たちが身近に感じ多用している「年度」であるが、暦年との複数基準は、当然、時に煩である。年度ベースで表現されることの多い日本の国内機関による経済見通しを国際機関製の見通しと比べるときなどである。

しかし、考えてみれば、このような「複数基準」の存在は年の区切り方にとどまらない。私は、尺貫法や数え年が常用された時代を生きた世代に属する。これらは既に捨てられ忘れられて久しいが、建て物の階の数え方(「1階」が第1層であるか第2層であるか)の「内外格差」は厳存するし、しかもこの数え方の相違は、数え年と満年齢の数え方の相違に照応するところが面白い。さらに、西暦以外に日本独特の年号の使用がある。また、グローバルスタンダードを呼号するアメリカが、メートル法と距離をおいていることも注意されてよい(フィート、マイル、ポンド等の使用)。

基礎単位、ものの数え方はグローバルスタンダードに統一された方が便利であるに違いない。しかし、「ローカルスタンダード」の中には、大袈裟にいえば、その社会の文化の基層の一部に属するというべきものがあり、それ故、言語について、基軸通貨ならぬ「基軸言語」(残念ながら英語)と並び多数の固有言語がしっかり守られていると同様の位置を認められていいと思う。年度当初にあたっての閑語である。

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