ポスト希少性経済: 思考実験としてのSF
2024年01月15日
私たちの仕事の効率と品質を上げるテクノロジーが次々と実装され、これから人間の社会と日常生活はいっそう速いスピードで変わろうとしている。次の世代が成人(これを書いているのは成人式の週なので)するころ、世界はどうなっているのだろう。
筆者は、人生の大事なことはたいがいSFに学んできたとの自覚症状がある人種の一人である。ここで取り上げる「マイ教本」は『スタートレック』、とくに、カーク艦長とMr.スポック(とんがり耳の彼の顔と名前を知っている人はそれなりにいるのではないか)が出てくる1960年代のジ・オリジナル・シリーズ(TOS)より、ザ・ネクスト・ジェネレーション(TNG)である。TNGではTOSよりも社会構造が作りこまれているからだ。
TNGは、時は24世紀、地球を含む惑星連邦、宇宙艦隊所属の宇宙艦U.S.S.エンタープライズDで数年に及ぶ深宇宙探査に出た、地球人を主なメンバーとする一行の物語である。一行には地球人以外にも生命体が多数加わっている。たとえば、マッド・サイエンティストが創造し、感情がないことと“I’m”、“isn’t”といった省略形が使えないこと以外はすべての点で人間を超える能力を持つ惑星連邦随一のアンドロイドであり、当たり前に一個の生命体として扱われるデータ少佐などがレギュラー・メンバーである。
スタートレックの世界観が画期的なのは、私たち人類の過去および現在とは違った未来の社会構造を描き出すことに成功している点である。未来の宇宙を舞台にした壮大なSF映像作品として、たとえば『スター・ウォーズ』シリーズを思い浮かべてほしい(オープニング・ロールは、ここではなかったことにする)。テクノロジーはともかく、社会構造は現代か、むしろ中世に近い。最近リブートされた『デューン 砂の惑星』もそうだ。それに対し、『スタートレック』が描くのはポスト希少性、ポスト貨幣経済の世界である。レプリケーターの発明でエネルギーと物質のほぼ自由な相互変換が可能になり、ほとんどのモノに希少性はなくなった。レプリケーターの前に行って「アールグレイ、ホット」と言えばオシャレなカップに注がれたお茶が現れる。それと無関係ではないが、お金もほとんど使われていない(フェレンギ人の社会など、惑星連邦外では一部お金が存在するが、そんなお金はフェレンギ人の文字通りフェティシズムの対象になっている)。希少な資源の配分がほとんどの場合必要ないので、価値の尺度も交換も貯蔵も、もはやあまり必要ではなくなっているのだろう。
そんな世界で、地球人を含むほとんどの知的生命体が共通して持つ価値とは、名誉であり、発見であり、創造である。私有財産はちゃんとあって、そこでカフェやワインヤードを営んでいる人がおり、また機械のほうが完璧に、また美しく演奏できても、楽器を熱心に練習する人がいる。取って触れる仮想現実の生成装置であるホロデックがあっても、みんな「リアル」現実世界に戻ってくる。社会主義系の社会にはなっていないし、人々の向上心も失われてはいない。
卑近な類似例では、北欧でベーシック・インカムの実地実験が限られた規模で行われ、やはり、対象者たちは事前に予想されたよりも仕事を続けたそうだ。私たちには働き手として生きる習慣が世代を超えて刷り込まれているのだろうか、それとも私たちは、今ある仕事や日々の雑事を一通りAIに任せた後、ファイナル・フロンティアを目指して果敢に未踏の地に足を踏み出せるのだろうか。
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