中国:アント・グループIPO延期の根本的理由と当局の方針転換

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2020年11月30日

  • 経済調査部 研究員 中田 理惠

2020年11月3日、史上最大の資金調達となるはずであったアント・グループによるIPOの延期発表は中国国内にてとりわけ大きな話題となった。多くの報道では同年10月に上海で開催された金融サミットにおける、同社を傘下に持つアリババグループの創業者ジャック・マー氏の当局の規制に対する批判めいた発言が引き金となったとされた。しかし時系列を遡って一連の流れを見ると、この問題は決してそのような単純な構造ではないように感じられる。

アント・グループとはオンライン決済サービスであるアリペイを中心にオンライン融資サービスや資産運用サービス、保険サービス等を展開する大手FinTech企業である。アリペイは中国国内にて10億人以上のユーザー数を誇る(同社IPO目論見書より)。アリペイから集めた膨大な支払い情報は個人に関する独自のクレジットリスク算出を可能にしており、これを基としたオンライン融資関連業務が同社の最大の収益源となっている。

そもそもアント・グループのような大手FinTech企業に照準を当てた規制は年初より始まっていた。2020年1月に独占禁止法の改正案が公表され、公正な競争に悪影響を及ぼす懸念がある支配的地位に該当するかの判断に、インターネット上の事業状況やデータの把握状況を踏まえる旨が記載された。同年8月には消費者ローン金利の上限を最優遇貸出金利(Loan Prime Rate, LPR)の4倍に制限するとした(現在のLPRに基づくと15.4%に相当)。認可を受けた金融機関には適用しないとしているが、FinTech企業が規制対象となるかは明確化されていない。仮に規制対象となればアント・グループの最大の収益源である融資業務の利益水準に影響を及ぼす可能性がある。

こうした一連の流れの後に、ジャック・マー氏の「失言」があったのである。その9日後には同氏の他アント・グループ幹部に対する当局からの指導と、オンライン小口融資業務に関する新たな規制の草案発表があり、翌日にIPO延期が発表された。もとより当局はアント・グループの一層の拡大に対し難色を示していた。

IPO延期について「失言」が根本的な理由でないならば、他にどのような理由があったのか。個人的見解としては2つの問題が指摘できる。

1つ目は同社のオンライン融資業務がモラルハザードを生じる可能性を含むことである。同社のIPO目論見書によると、債権の98%は資産担保証券(ABS)として外部に売却するなどしてオフバランス化している。実質的に同社は債務不履行となった際のリスクをほとんど負うことがなく、アリペイ等のデータを基にしたクレジットリスクの算出によって対価を得ている状況である。加えてその算出に使うデータは同社が独占しているため、適切なリスク評価がなされているかは外部からの判断が困難である。米国でのサブプライムローン問題では、証券化された商品の原資産のリスク評価が格付け機関により適切になされなかったことも事態を深刻化させた一因となった。同様の問題が生じる可能性に対して当局が警戒心を抱くのは自然であろう。

2つ目は同社が保有する膨大なデータの存在である。アリペイのオンライン決済サービスのユーザー数は概算で中国国民の7割をカバーしている。加えて資産運用サービスや融資サービスを抱えていることから、同社は各個人の資産状況に関する詳細かつ膨大なデータを独占している状態にあるといえる。こうした企業に対してIPOにより外資が流入することに懸念が生じた可能性がある。

総じてみると、中国当局はこれまでのFinTech企業の成長を全面的に後押しする姿勢から、その膨張を警戒し必要に応じて規制を導入する段階に移行したとみられる。今後、アント・グループが当局の規制にどのように対応し共存を図るかが注目されるところである。

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