「話せばわかる」対「問答無用」

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2018年05月07日

  • 中里 幸聖

86年前の1932年5月15日に起きた五・一五事件。内閣総理大臣犬養毅と殺害犯である海軍の青年将校の間でのやり取りと言われているのが、本コラムのタイトルにした「話せばわかる」「問答無用」である。

五・一五事件は、課題はありながらもある程度は機能していた政党に基づく議会制民主主義が、大幅に後退する転機となった事件と言える。犬養首相以降は、軍人や皇族、官僚などが首相となり、政党の代表者が首相という形が復活するのは戦後まで待たなければならなかった。

軍の一部による首相殺害を狙った事件としては1936年の二・二六事件があり、テレビなどを始め近年ではこちらの方が取り上げられることが多い。規模の大きさや計画の周到性などからすれば、二・二六事件は本格的なクーデーターを企図したものと言える。しかし、軍の一部が直接的に首相殺害を企図し、政党政治を実質的に終わらせたという観点では、五・一五事件が嚆矢であると考える。この点については、五・一五事件は海軍の一部将校が中心であるが、二・二六事件は陸軍の一部将校が中心であり、戦後の海軍善玉論、陸軍悪玉論が両事件の取り上げ方に影響しているのではないかとの友人の見解に妙に納得がいった覚えがある。

物理的な危険が迫っている時など、「問答無用」で即座に行動しなければならない場面もある。しかし、大抵の場合は議論を尽くす事が大事であり、それは民主主義に限らず、社会を円滑に運営していく方法であろう。お互いの誤解や勘違いは、話し合わなければ気付かないことも多い。誤解などに基づくすれ違いが、大きな災厄に繋がることも間々ある。

卑近な話をすれば、結婚や離婚も「問答無用」な姿勢が招いている側面も多くあるように思う。もう少しお互いに「話し合おう」という姿勢に転じていれば、違った展開もあったと思われる事例も多いような気がする。

「話し合おう」という姿勢は衆知を集める手段でもあり、「問答無用」という態度では新たなアイデアを逸してしまうであろう。やることが明確な場合は、議論している暇があったら実践という意味で「問答無用」な態度もあり得る。しかし、ビジネスをはじめとして、実社会では試行錯誤が必要な事柄が多くある。

残念ながらわが国では、議論を尽くす事が求められる時に「問答無用」の方に偏り易い傾向があると思われる。五・一五事件の前年に起きた満州事変に関する国際連盟での対応もそうであった。当時の日本は五大国の一つであり(※1)、国際連盟に残って徹底的に「話し合おう」という態度を貫き通すべきであった。しかし、1933年、満州事変に関する日本の主張を否認するいわゆるリットン報告書が採択されると、国際連盟を脱退してしまった。

ここ数年の国会を見ていても、議論すべき内外の課題が山積しているのに、与野党ともに「話し合おう」という姿勢が欠けているように見える。どちらも結論ありきで臨んで、相手のあら探しはするものの、話し合ってより良い政策を作り上げようという風には見えない。というのが一般的な国民の感想ではないだろうか。特に2010年代に入ってからの日本国が直面している国際環境は激動のさなかにあり、こんな時こそ課題解決に向けて衆知を集めることが求められる。

なお、日本人は「話し合い」という表現だとプラスイメージだが、「交渉」と表現するとマイナスイメージに取る傾向があるように思う。「交渉」という表現には取引というイメージが付きまとうからかもしれない。

しかし、婚姻生活も国際関係も果てしない交渉の継続である。交渉し続ける姿勢が重要であると思うのだが、これがなかなか難しい。

(※1)国際連盟発足時の常任理事国は、日本、イギリス、フランス、イタリアの4か国(アメリカが国際連盟に参加していれば常任理事国になる予定だった)。後にドイツが国際連盟に加盟し常任理事国となり、日本が国際連盟を脱退する直前は、日本、イギリス、フランス、イタリア、ドイツの5か国が常任理事国だった。

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