「時は金なり」は、強欲の証?
2014年03月31日
遠い昔のことだが電車に乗っていると、恐らくアジアの国からの留学生だと思われる若者たちが話しているのが聞こえた。日本人について話しており、日本には「時は金なり」ということわざがあるが、なんでも金(かね)を持ち出すのは、日本人がお金に執着している、つまり強欲なことの証だといった旨の話をしていた。この話が聞こえてきて、驚いた記憶がある。
「時は金なり」は、時間は貴重であるから浪費してはならないという意味である。お金に執着しているわけではないだろう。また、手元の辞書などを見ると、Time is money. の訳とあり、日本人がどうのこうのということにはならないだろう。
別に揚げ足を取りたいからこの話を持ち出したわけではない。たまたま夜中にこの話を思い出した時に、お金に抱く印象はどうなのだろうか、お金とどう付き合っていくべきなのかなど、取り留めもなく考えていたがまとまらなかったので、再び考えてみようと思ったからである。
お金について、皆さんはどのように感じているのだろうか。「金の亡者」のような言葉を思い浮かべ、悪い印象を持つ方もいるのだろう。一方で、お金は、我々の生活にとって有用であり、必要なものでもあると感じる方もいるのだろう。日々の生活で必要なものをスムーズに手に入れられるのも、お金が介在しているからであろう。またお金が世の中を巡ることが、日本経済、世界経済において重要な意味を持っているのだろう。
ところで、筆者の過去を振り返ると、学校などの公的な場所でお金についてしっかりと学んだことはない。そのためか、お金について真正面から考えられるようになってきたのは、働き出してしばらくしてからだったように思う。ある方が、自らの人生を切り開いていくうえで、お金についても若いうちから基礎的なことを学校で学んでいかねばならないのではないかといったことを言われていたが、確かにそうなのではないかと思う。お金が社会の中で果たす役割、お金の使い方、将来に向けたお金の運用(投資等)の考え方などの基礎を学んでおけば、将来設計にも役立ってくるのではないだろうか。
しかしながら現在も、お金の基礎について学校で十分学べているとは言えないだろう。多くの方々や団体(例えば、金融広報中央委員会、日本証券業協会、東京証券取引所、日本ファイナンシャル・プランナーズ協会など)が、学校で学んでもらう環境を作っていこうと活動しているようであるが、このような活動は今後も継続していっていただきたい。その活動がより大きな輪になり、お金の基礎を身に付けることが学校の必修のカリキュラムに取り込まれるなど、大きな実を結ぶことを期待したい。
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堀内 勇世