オバマ大統領 最大の政治危機に

TPPでオバマ大統領にどこまで付き合う必要があるのか?

RSS

2013年11月21日

  • 長谷部 正道
  • 1.急速にレームダック化するオバマ政権

11月17日付けのABCニュース“This Week”は“Presidency in Crisis”という衝撃的な表題でオバマ大統領の政治的危機について特集しており、つい目が釘付けとなった。今回の危機の直接のきっかけは、アメリカ合衆国を債務不履行の瀬戸際まで追い込んでまでも、オバマ大統領が固執したいわゆる「オバマケア(医療保険改革)」を巡るものである。具体的には、新たな医療保険制度の基準を満たさない既存の保険については加入者が継続を望む限り契約を継続できるとこれまで大統領自らが説明してきたが、この説明と異なり新たな基準を満たさない保険について保険会社の方から解約を通告されるケースが増えていることと、運用が開始されたばかりの「オンライン医療保険取引所」の運営に不具合が生じているが、当該不具合の発生は事前に担当者より指摘されていたにもかかわらず、問題点の存在がホワイトハウスまで知らされていなかったことなどであり、大統領はTVで国民に向かって正式に謝罪を行った。この結果、ABCニュースの世論調査によれば、国民の過半数(52%)がオバマ大統領を信頼することができないとしており、また事実上オバマケアを骨抜きにする(新基準に合致しない保険の新規販売を時限的に認める)修正法案が共和党ばかりでなく(オバマ大統領が拒否権を発動することを明確にしているにもかかわらず)身内の民主党の39名もの下院議員が支持に回ったことにより、15日に同修正法案が下院で可決されてしまった。

オバマ大統領の指導力の低下は、今回に始まったことではなく、本年に入ってから、シリア政府の化学兵器使用疑惑に対する限定的な武力行使を巡る国際世論・国内世論の読み違え、サマーズ元財務長官をFRB議長に就任させることに失敗し、最近では同盟国首脳への盗聴疑惑で独をはじめとする重要な同盟国との信頼関係も揺るがせているが、今回の危機は、国民の不信任が過半数に達したことに加えて、身内の与党民主党からも多数の造反者が出たことにある。冒頭のABCの特集番組によれば、今回の危機は2005年に発生したハリケーンカトリーナへの対応ミスを契機に信認が一気に低下したブッシュ大統領の事例に酷似しており、二期目に入った過去の大統領でこのレベルまで国民の信頼が低下した大統領は信頼を回復することに成功した例はないとしている。

  • 2.TPPはオバマ大統領にとって起死回生の得点となるのか?

こうした厳しい国内政治環境の中で、オバマ政権が米国に有利な内容でTPPを年内に纏め上げることにより、起死回生の挽回を図ろうと考えることはきわめて自然であると考えられる。しかし、TPPの年内妥結のためには二つの大きな課題がある。

第一には、交渉を年内にまとめるためには、現時点で米国と途上国の間で大きな隔たりがあるとされている投資、政府調達、環境等の分野で、米国もそれなりの柔軟性を発揮して歩み寄る必要があるということである。しかし、19日から米国で始まった首席交渉官会合を前にして米国政府より交渉参加国に提示されたとされている10項目を超える分野に関する米国の提案文書は、米国からも柔軟な姿勢を示して「交渉の着地点」を探るような内容となっておらず、主要な論点についてこれまでの米国の主張を繰り返したものにすぎないとされている。これでは本当に米国として年内妥結を図るつもりがあるのかという疑問を持たざるを得ないが、既に米国内で主要論点として認識されている米国の重要関心事項について、米国から妥協案を提示するためには、米国政府に国内をまとめうる十分な指導力があることが前提となるのであり、この時点で重要論点について、従来の米国の立場を固執するような提案しか出せないことは、米国交渉当局に米国内をまとめる政治力が欠如している証左と見ることが妥当であろう。

筆者は既に10月25日付の時事通信社の「コメントライナー」においても指摘したが、第二の米国内の問題点としては、「大統領貿易促進権限(Trade Promotion Authority: TPA)」をオバマ大統領が持っていないということである。TPAとは重要な通商交渉を米国政府が行うために1974年以降の歴代の大統領に議会から付与されていた権限であり、米国政府は議会への事前通告などの一定条件の下に外国政府と重要な通商合意を行う際に、議会に対して通商合意の個別内容に立ち入ることなく一括して承認か不承認かを求めることができる権限である。しかし、ブッシュ政権時代の2007年7月に同権限が失効して以来、大統領はTPAを有していないが、TPPのように包括的で米国内的にも広範な利害が錯綜する通商協定についてTPAを持たずして、合意の個々の論点について無傷で議会の承認を得ることは事実上不可能といえるだろう(現在米国の締結しているFTAのうち、TPA無しに議会の承認を受けているのは一件のみ)。

  • 3.なぜ米国は我が国に対する要求をさらに引き上げたのか?

我が国はTPPに参加するために、米国側の主要関心事項であった牛肉・自動車・かんぽ生命の問題についてすでにほぼ満額回答をオバマ大統領に対して提示し、そうした具体的な成果を元にオバマ大統領は日本のTPP参加に対する米国内反対勢力を説得し、引き換えに安倍首相はオバマ大統領から日本が農業分野でセンシティブな作物を持つことを認めさせたとされている。したがって、当初我が国としてはいわゆる重要5品目は守りきれるという楽観的な見通しを持っていたにもかかわらず、先回のバリ会合以降、我が国としての自由化率を各国並に引き上げるために、重要5品目の中でも精査の結果影響の少ない品目については自由化の対象とするような検討を政府与党内で行われてきたとされている。さらに最近になって、我が国は米フロマン代表より、関税の全廃を改めて要求され、これに対して、ミニマムアクセス枠の拡大や、新たな関税割り当て制度の創設の検討に入ったというような報道がされている。

なぜ、米国は交渉最終段階に入って我が国に対する要求を突如引き上げてきたのであろうか?押せば押すだけ我が国がなし崩し的な譲歩をするだろうと甘く見られているかどうかはさておき、米国がここに来て更なる成果を求めてきたのは、上述したTPAを大統領に付与する法案を米国議会で通すためにも、TPPにより米国に裨益するというより明らかな交渉見通しを国内でさらに提示する必要があるほど、米国交渉当局は追い詰められていると見るのが妥当であろう。

  • 4.我が国のとるべき立場

冒頭説明したとおり、オバマ政権のレームダック化は予想以上に急速に米国内で進展しており、年明けには10月に先送りされた米国債務の上限の引き上げ問題の国内処理にオバマ大統領は専念せざるを得ないであろう。18日付の英フィナンシャルタイムズ紙をみれば、このような見方が米国の最大の同盟国である英国でも広がっていることが確認できる。10月のバリ会合において、TPP首脳会合の議長を務めるはずだったオバマ大統領の出席が急遽取り消されたとき、ニュースでインタビューに応じる甘利担当大臣の憮然とした表情が印象的であった。それでも日本は気をとりなして、国内の調整作業を誠実に続け、米国と共同でTPPの推進役を果たそうとしている。

しかし、TPP交渉は我が国の将来にとって、領土交渉と匹敵するほど重要な交渉である。北方領土問題を見てもわかるとおり、こうした国益をかけた重要交渉はどちらか一方が全て譲るということはありえないので、交渉をまとめるためには交渉相手の当事者がロシアのプーチン大統領のように、二国間の合意内容についてきちんと国内を仕切りきれる指導力を持っていることが前提であるが、オバマ大統領のお膝元の米国経済誌のフォーブスですら、世界で最も影響力のある人物としてプーチン大統領を選択し、オバマ大統領は2位に転落した。

TPPの交渉内容については守秘義務もあり一向に重要な内容が公表されない一方で、我が国に対する厳しい要求内容とそれに対する我が国のなし崩し的な妥協案だけがどんどんリークされるのには一定の意図が感じられる。現在減反政策の抜本的な見直しなど、農業をはじめとする我が国の国際競争力が弱い分野について、抜本的な政策の転換が図られているようであり、このような努力はきわめて重要かつ適切でありTPP交渉の進展見通しに係らず鋭意進めていくべきである。

しかし、肝心のオバマ政権がTPPについて米国内の承認を得る見通しが全く立っていない現状で、我が国がなし崩し的な妥協を重ねるような段階にあるとは思えない。安倍政権が長期政権を目指すのであれば、レームダック化したオバマ大統領に更なるプレゼントをするよりは、3年後のより親日的な大統領と良い関係を築くためにプレゼントはとっておいた方が賢明であり、少なくても、オバマ大統領がTPAを国内で取得するまでは更なるなし崩し的な妥協は不要である。

このような交渉戦略に係らず、自由貿易は我が国の国益にかなうのだからどんどん推進すべしとする考えもあるであろう。しかし、貿易交渉はTPPで打ち止めではなく、今後もFTAAPなどの交渉は続くのであり、そのときに我が国はいち早く高いレベルの貿易の自由化を達成しているのだからと言って、手ぶらで切るカードもなしに、相手国に我が国の要求を飲ませることなどできないのである。国際交渉、中でも通商交渉はギブアンドテークの相互主義の世界であることは、米が最もはっきり示しており、我が国が切るべきカードを無意味に先に切ってしまえば、後になって困るのは輸出企業を含む我が国経済界全体である。そういう意味では、輸出企業などの製造業と農業は同じ船に乗っているのであり、農業分野で切るカードを温存してくれれば、将来の通商交渉で輸出企業を含めた我が国経済界全体にとっての交渉カードとなるのである。関税を撤廃しただけで無罪放免となると考えるのは甘く、現在進行中の日米自動車並行協議を見てもわかるように、関税撤廃というカードを切った後には、非関税障壁の透明化という名目で、我が国独自の安全・環境基準などを米国などの基準に合わせるように求められるだけのことである。骨の髄までしゃぶられたくなければ国益を守るために全力で交渉する道しかないのである。

このコンテンツの著作権は、株式会社大和総研に帰属します。著作権法上、転載、翻案、翻訳、要約等は、大和総研の許諾が必要です。大和総研の許諾がない転載、翻案、翻訳、要約、および法令に従わない引用等は、違法行為です。著作権侵害等の行為には、法的手続きを行うこともあります。また、掲載されている執筆者の所属・肩書きは現時点のものとなります。