三中全会が示す、中国の「決められない政治」

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2013年11月18日

  • 児玉 卓

鄧小平亡き後の中国共産党は、集団指導体制の時代に入ったといわれている。もちろん、その政策に時々のトップの性格などがある程度反映されはするが(例えば江沢民元総書記の愛国教育)、リーダーが誰であるかによって、国の方向性が大きく動くような余地は狭くなった。それが安定的な政策運営を可能にする面も確かにあろう。ただし、一方で、集団指導体制の下では大胆な政策転換が排除され、漸進的政策が好まれるようになる。大胆な政策転換が必然的に既得権との相克を生むのはいずこも同じであるが、それを克服するには複数のリーダー達(例えば政治局常務委員)の間で政策的プライオリティが共有されているか(端的には、リーダー間の派閥争いがない、あったとしても各人が国益を優先する)、或いは、それを乗り越えるリーダーシップ(リーダー達の中の本当のリーダー)が存在していなければならない。この条件が欠けた中国がはまり込むのは「決められない政治」の罠に他ならないであろう。

胡錦濤前指導部の時代から、政治の停滞は広く認識されるようになっていた。和諧社会の構築を掲げながら、地方間所得格差の拡大を前に抜本的な手は打たれない。国有企業改革も先送りの繰り返しであった。こうして、胡錦濤指導部に対する評判、特にそのリーダーシップに対する評価は時とともに低下したのだが、これは「胡錦濤-温家宝」という個(の組み合わせ)の問題なのではなく、利害錯綜の密度が余りに濃い、中国的集団指導体制の必然的結果なのではあるまいか。

先般の「三中全会」コミュニケは、集団指導体制が「決められない政治」をいよいよ深刻化させている象徴のようにも読める。特に経済政策については、どこにプライオリティを置き、どのようなターゲットを設定しているのかがまるで見えてこない。公有制を主体としながら資源配分における市場機能をより高めるといった箇所などは、何をしたいのか全く分からない。はっきりしているのは、予見される将来のうちに国有企業改革を実現させる政治的意思はないということであろう。いや、或いは、例えば習近平総書記、李克強首相にはその意思があるのかもしれない。しかし、それを党の政策として前面に掲げ、実現に踏み出すリーダーシップはないということだろう。

一方、物議を醸した「国家安全委員会」の設置はどう見るべきか。これは、一面で分かりやすい施策といえる。現在の指導部に派閥を超えて意見の一致を見る重要論点があるとすれば、それは共産党の一党独裁を最大限維持するということであろうからだ。もちろん、その手段として強権的締め付けの強化が適切であるかという議論はあり得る。しかし例えば、経済成長率が中期的に鈍化を余儀なくされ、所得拡大をもって共産党政権の継続を正当化することが難しくなる中で、所得分配の公平化によって民心の安定と政権の持続を図るという戦略は、集団指導体制における利害の相克によって頓挫する他はないのであろう。だからこそ政体の維持を、ある意味でより安易な「力」に依存しようとするのであろう。

では、こうした決められない政治は、長期的に何を帰結するのだろうか。かつて孫文は「三民主義」(民族主義、民権主義、民生主義)と共に、三段階の民主化論を唱えた。革命が成就した後の新たな国家においては、第一に軍事独裁によって治安と民心の安定を図らなくてはならない。第二は賢人(エリート)政治である。こうしたプロセスと同時並行的に、民衆の教育レベル、生活レベルが向上することが、第三段階としての民衆の政治参加(民主主義)が実現する条件になる。民主主義は育てるものだという思想である。

台湾は、国民党統治の初期における様々な混乱を経ながらも、概ねこうしたプロセスを経て現在に至っているように見える。李登輝元総統が実現させた総統直接選挙をもって、民主化は一応の完了を見ているためだ。一方、孫文の政体変遷プロセスから大陸中国を眺めれば、軍事独裁から賢人政治への転換すらままならず、統治のシステムは革命直後から大きく変わっていない。変わったのは絶対的リーダーが不在となり、既述のように集団指導体制が定着したことくらいである。しかしこの間、統治される側の教育レベル、所得レベルは見違えるほど向上した。統治する側・される側の教育・知的レベルの接近は、民衆にとって、既に統治者が「賢人」ではなくなったことを意味する。「愚民政治」はもはや機能しない。こうした状況で、余裕を失った統治者が、ますます力に頼ろうとすれば、社会の不安定化はいよいよ深刻化する他ないように思える。

孫文は民主化プロセスが途中で挫折した場合に何が起きるかについては述べていない。中国共産党が最も恐れるのが「再革命」であることは自明であるが、それを回避するには「決められない政治」から脱却することが必須である。その意味で「三中全会」コミュニケは、中国の近未来への暗雲と位置づけざるを得ない。

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