エジプトの「民主主義」、或いは「アラブの春」の前途

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2013年08月29日

  • 児玉 卓

混迷深まるエジプトのニュースに日々接する中で、かつて聴いたボリビアのモラレス大統領の講演を思い出した。時は同氏が大統領に就任して1年余りの2007年、中南米における「資源ナショナリズム」がメディアをにぎわせていた時期のことだ。ボリビアでも石油・ガス田の国有化を宣言、モラレス大統領は「ミニ・チャベス」などとも呼ばれていた。

ただ、講演を聴く中でまず分かったことは、同大統領が「資源ナショナリスト」などでは全くないということだ。つまり彼は、ボリビアの大統領であるよりもアンデス先住民の代表であるように見えたのだ。モラレス氏にとって、恐らく石油メジャーなどの外国企業は、かつて先住民を抑圧した占領者の現代版でしかなかったのであろう。とすれば、当時の同大統領にとって「国益」とはあまり意味のない概念だったに違いない。平たく言えば、彼は国境の内にいる欧州系同国人のためよりは、むしろ国境の外側のインディオのために仕事をしていたのではないかということだ。

モラレス大統領に限らず、ボリビアのような(恐らく多くの)国の人々にとって、国民国家という概念が自身の所属する場所として、自己のアイデンティティと深刻な矛盾をきたすことなく受容されることは、われわれ日本人が想像する以上に難しく、稀なことなのかもしれない。

エジプトの混乱の重大な背景にあるのもここであろう。モルシ前大統領は明らかにムスリム同胞団の利益を代表していた。同胞団にとっても、恐らくエジプトの国益という概念はあってなきが如しであろう。それを民衆に見透かされれば、政権はいずれ倒れる他はない。そして、これに乗じた軍にせよ、国益のためにクーデターを起こしたわけではあるまい。もちろん、先進国であっても党利党略の前に国益が蔑ろにされることはしばしば起きる。しかし、エジプトのような国の場合、国民国家という概念の余りの希薄さが事態の収拾を困難にしているように見える。

さて、モルシ氏は選挙で選ばれた大統領であった。ただし、彼をその座から引きずり落としたのも民意であった。軍はそれに乗じたにすぎない。そこで、一体、民主主義とは何なのか、という疑問が出てくる。かつて米国の経済学者、R・バロー氏は、政治的自由は生活水準の上昇が帰結する、一種の贅沢品のようなものだと書いた。どのような国であれ選挙制度を採用することはできる。しかし、所得水準が低い時点での民主主義体制は、宿命的な不安定さを抱える。一方で、自由な経済体制下で経済発展が進めば、民主化はおのずと進むというのだ。2012年の一人当たりGDPが3,100ドル余り(中国の約半分、出所はIMF)のエジプトは、民主主義という贅沢品を享受するには尚早ということなのだろうか。さらに深刻なのは、イスラム系組織と軍以外に主要な政治アクターが存在しない同国で、自由な経済体制を整えることは著しく困難であろうということだ。バロー説が正しいとすれば、エジプトは民主主義を根付かせる前提となる所得水準の向上自体が、現下の政治・社会情勢の下では望みにくいという袋小路にはまっていることになる。

インド系の在米ジャーナリスト、F・ザカリア氏も「低レベルの発展段階で民主化された国家は、インドのような例外もあるが大体は失敗する」と書いている。さらに彼は「(政治的)自由化を促進するのは、あくまでも稼いだ富である」として、民主主義と資本主義の一種のリンケージ、そしてイスラム圏などにおける民主化の難しさを指摘している。つまり、欧州やアジアにおいては、所得水準の上昇が農業から製造業を経て、サービス業へといった産業構造の高度化を伴ってきた。イスラム圏などにはそのようなプロセスが存在しない。エジプトにはサウジアラビアのような豊富な資源はないが、運河通行税や米国からの軍事援助といった「あぶく銭」で国が運営されてきた点では同じである。このような国では、教育もなく、技術もなく、「社会は時間が止まったままで停滞」してしまうというのだ。であれば、(「あぶく銭」で底上げされた)所得水準が示唆する以上に、民主化を進めることは難しいということになってしまう。

こうして、おぼろげに見えてくるのは、エジプトにとどまらない、「アラブの春」の余りに厳しい前途である。中東・北アフリカにおける独裁政治体制の打破の連鎖においては、SNSなどのテクノロジーの浸透が重要な役割を果たしたといわれる。それはそうかもしれないが、ここで指摘されるべきは、グローバルに進む技術革新と同地域の旧弊たる社会情勢とのギャップの拡大であろう。何よりの問題は、独裁体制が崩壊したこれら諸国において、民主主義が育ち、根付く素地が整っていないのではないか、ということにある。

この空白を一体何が埋めるのだろうか。さらに、この空白期間はどのように終わるのだろうか。

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