イランは変わるか?

イスラム圏における方向転換

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2013年06月20日

  • 大和総研 顧問 岡野 進

6月14日に投票が行われたイランの大統領選挙で、穏健派のハッサン・ロウハニ候補が過半数の得票で勝利した。これまで2期8年間革命防衛隊出身の保守派のアフマディネジャド大統領のもとで抑圧的な対内政策と反米外交が展開されてきたが、それに変化の兆しが生まれた。

イランの政治を振り返ってみよう。1979年のイラン革命は世界に衝撃を与えた。親西欧的だが決して民主主義的とは言えなかったパーレビ・シャー体制が、不満を持つ民衆のデモによって倒される事態が起きた。1978年から始まった反パーレビの運動は、当初は若者を中心にした民主化勢力が推進役であったが、しだいに聖職者として人気の高いホメイニをかつぐイスラム勢力に取って代わられた。イランは国民投票に基づいてイスラム共和国の樹立を宣言(1979年4月1日)し、ホメイニが提唱した「イスラム法学者の統治」に基づく国家体制を形作った。この事件は経済的にも石油の供給不安を引き起こし、第二次石油危機に直結し、先進国の景気に打撃を与えた。

イラン革命により新たな指導層はイスラム教シーア派の聖職者となったが、こうしたイスラム回帰は周辺諸国にも影響を及ぼした。ソ連はイランの隣国アフガニスタンに軍事介入し、さらに傀儡政権を樹立したため、国際的な非難を浴びた。そして、事実上アラブ産油国や米国、中国の支援も受けた隣国パキスタンを拠点にしたイスラム勢力等の反ソゲリラ活動が活発になった。後年9.11同時多発テロを引き起こしたアルカイダもこの中で勢力を拡大した。イラン革命はイスラム圏でイスラム原理主義が伸長していくきっかけになった事件であったとも言える。

そうした時代からすでに34年の月日が経った。イランの民衆の生活は改善しているとは言えない。パーレビの時代と比べて政治的な自由や文化的な自由もあるとは言えない。イランの国民の多数が、これまでの厳格なイスラム体制からより民主主義的で自由な体制を志向する意思を示したのが今回の大統領選挙結果であろう。

ニューヨーク・タイムズ(6月13日)に掲載された元テヘラン・バス運転手組合委員長マンスール・オサンロー氏の手記によれば、最近の経済悪化により、産業労働者、教師、看護師、公務員やサービス産業従事者の生活が直撃された、としている。そうした中で労働組合への弾圧があり、オサンロー氏自身が投獄され、家族にも脅迫や迫害があり亡命せざるを得なかったことなど政府による抑圧の実態を明らかにしている。一方で、テヘラン・バス運転手組合は18%の賃上げを勝ち取るなど成果を上げており、イランの経済危機の中で労働者は黙っていられない状況になっていると指摘する。

ロウハニ師はイスラム聖職者の中での穏健派であり、大統領が交代したからといって、「イスラム法学者の統治」のもとで権力が最高指導者ハメネイ師にある事情はすぐには変わらない。しかし、国民の動向次第でより民主的で世俗的要素が強い政治体制への移行が起きる可能性は否定できない。

イランが変わることは国際政治情勢に大きな影響を与えるだろう。エジプトではムバラク体制が崩壊したのち、ムスリム同胞団を主体とする政権が成立したが、モルシ大統領の強権的な方法に異を唱え、世俗的な民主主義体制を求める国民の運動は続いている。トルコでもイスラム主義色の強い現エルドアン首相に対する世俗派の反対運動が盛り上がっている。イスラム圏でこれまで30年以上続いてきた原理主義へのシフト現象が反転する可能性もあるのではないだろうか。

イランの変化は他にも影響を与える可能性がある。これまでイランはシリアのアサド政権を支援してきたが、新政権は慎重姿勢を見せる可能性もあり、アサド体制にとって不利になる。また、表向きは原子力エネルギー(発電)の開発として核開発を行っているが、査察を受け入れ国際的監視のもとに原子力の平和利用に徹すれば、経済制裁の解除などが動きだす。これまで同様の核問題を抱えている北朝鮮にも大きな圧力になる可能性がある。

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