変化し続ける世界体制への適応

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2013年06月03日

  • 中里 幸聖

天安門事件、ベルリンの壁崩壊。1989年に洋の東西で起きた世界を震撼させた出来事から四半世紀近く経とうとしている。後者が東西冷戦の終焉過程の象徴的事件であることに異論はないであろう。一方、逆説的ではあるが、前者は現在起こっている世界的規模での中国台頭の転換点に位置する事件であったと考えられる。東西冷戦の終結はグローバルな経済を出現せしめ、天安門事件は中国共産党が主導する経済と軍の近代化への傾斜を加速させた。

今から振り返れば、第二次世界大戦以降の世界体制の歴史的転換点を象徴していた事件が起きていたわけであり、わが国がいわゆる「戦後レジームからの脱却」を果たす絶好の好機が到来していたともいえるのだが、バブルの熱狂とその崩壊による国内問題に注意が集中し、せっかくの好機を逃してしまった。しかし、「戦後レジームからの脱却」を掲げた第一次安倍内閣が発足した2006年は、その好機逸失を挽回する機会であった(※1)。ただ、国益という観点が十分でない批判的意見もあり、第一次安倍内閣の挑戦は頓挫してしまった。

第二次安倍内閣の発足により雰囲気が変わりつつあるが、これまでのわが国の閉塞感の基因は、第二次世界大戦前後に導入あるいは形成され、その後に定着した国内体制及び国際関係にある。それらを「戦後レジーム」として捉えて脱却を図り、わが国の本来的な姿を取り戻そうという姿勢は、問題の本質を正しく認識していると考える。おそらくは、1980年代の中曽根内閣が掲げた「戦後政治の総決算」も同様の文脈で考えられるものであるが、中曽根内閣時代は東西冷戦継続中であったので、自ずと限界があったであろう。「戦後レジームからの脱却」は多様な分野を包含しているが、国益に基づいて世界平和を希求するという国家として正常な在り方への回帰が基軸になると考える。また、東西冷戦終結を契機として変化してきた新たなる世界体制への適応を試みるものともいえる。いわゆる「失われた20年」は、そうした適応を欠いた状態の継続と捉えられる。

遠い将来は別にして、現代社会は国家という枠組みを基本として運営されている。人々の生命と財産の安全は、国家によって守られることとなっている。生命と財産の安全が危ういものであるならば、まともな経済活動は成立せず、人々の生活は苦しいものとなるであろう。そのことは古今東西の紛争地域での暮らしからいくらでも例を挙げられよう。

生命と財産の安全を守る国家が機能するためには、当該国家が一定程度は国民の支持を得ていることが重要である。その支持の得方、いわゆる正当性あるいは正統性は国によってさまざまであるが、国民が自国に誇りを持っていることは欠かせないであろう。そのように考えると、自国の誇りを損ねるような議論を積極的に展開しようというのは、国益への配慮が十分でない、ひいては国民の生命と財産を危険に晒しかねない行為ともいえるであろう。

もちろん他国を顧みず、自国の国益にばかりこだわっていては紛争が生じ、結果として国民の生命と財産をより危険に晒すことになり得る。現実にはそれぞれの国益が衝突する場面が多々生じているが、それらを調整し、お互いの落としどころを探る姿勢が賢明であり、それが政治の使命でもある。そのような政治の使命をしっかり果たさせるようにすることが国民自身の安全につながり、繁栄の基礎ともなる。そのように考えれば、国益の観点から考える習慣が身についていることが大切ではないだろうか。

現在、わが国の政治経済における挑戦は、東西冷戦終結後から継続して変化し続けている新しい世界体制への適応と、さらに進んで、そうした世界体制が人類にとって心地良いものとなるための方向性提示を試みるものと考える。それがわが国の国益とも合致する。明治維新以降のわが国は人種差別の撤廃を掲げて二十世紀の方向性を示していたのであり、今再び人類的課題突破のとば口に立っているといえよう。

(※1)第一次安倍内閣と「戦後レジームからの脱却」の辺りの議論については、小川榮太郎『約束の日 安倍晋三試論』(幻冬舎、2012年)などに詳しい。

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