最近の金融政策を巡る議論への雑感

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2012年11月29日

  • 小林 卓典

自民党の安倍総裁が、建設国債を日銀が引き受けるなど、金融政策について発言したことに対して評価が分かれている。国債引き受けは邪道、論外、過激すぎるなど、批判する側は辛らつである。

デフレが日本経済の長期停滞を象徴する病理現象であることに、いまさら反論する人はいないと思われるが、財政破綻の可能性と絡めてデフレと超低金利の組み合わせの方がましと思っている人もいるだろう。ただし、円高、デフレ、賃金減少の組み合わせが持続可能と考える人はいないだろうから、みな基本的にはデフレに否定的なはずである。

デフレから脱却するために量的緩和をこれ以上追加しても何の効果もないという人がいる一方、金融緩和の行き着くところはインフレ高進か、悪くすればハイパーインフレだと金融緩和の弊害を懸念しつつも物価予想への働きかけを認める人もいる。ただし、量的緩和で何も変わらないと考えることと、人々の物価予想に効果があると考えることでは大きな違いがある。

日銀の国債引き受けといえば、必ずといってよいほど昭和初期の高橋財政が引き合いに出されるが、昭和6年から数年続いた高橋財政で日本はデフレからマイルドなインフレに変化し実質経済成長率が高まったのであって、インフレが高進したのは太平洋戦争後の物不足が深刻化した昭和21年からだが、なぜこうした事実が無視されるのかはよく分からない。

いったん日銀の国債引き受けを許せば、かつて戦費調達のため軍が暴走し、手がつけられないインフレが起こったように禍根を残すことになるという意見もある。しかし、平和な今日において、政治家や国民が際限のない財政支出を求めればそうなるかもしれないが、政治家と国民はそれほど愚かだろうか。

インフレを心配するのであれば、インフレターゲットを導入し、インフレを抑制するルールを決めればよいのではないかと思うのだが、これにも賛否両論あって今のところ1%の「中長期的な物価安定の目途」というあいまいな目標にとどまっている。

日本に必要なことは、むしろ構造改革や成長戦略であるという意見があり、確かにそれらの重要性は否定できない。しかし、主要な先進国、新興国を見渡しても、日本ほど長期間にわたってデフレに悩まされている国はないが、日本だけが構造改革と成長戦略を怠ってきたと言えるだろうか。

通貨高よりも通貨安の方が、輸出拡大を通じて景気回復が容易になるのは誰しも分かっているが、中央銀行が通貨安のために金融を緩和すると明言することはまずありえない。しかし、ありえなくとも欧米の中央銀行の緩和目的の一つに通貨安を促すことが含まれているのは隠然たる事実であろう。

安倍総裁の発言に対する反応は、それぞれの経済常識、日本経済に対する危機感の違いによって様々であるのは当然なことだが、結局のところ、こうした大胆な金融緩和が求められるほど、日本経済の状況が厳しくなりつつあると捉えるかどうかではないのか。

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