徴兵制の復活を歓迎する英国

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2024年06月07日

  • 菅野 泰夫

7月4日に行われる英国総選挙では、スターマー党首率いる野党・労働党が支持率で大きくリードしており、14年間続いた保守党政権が終焉を迎える可能性が高まっている。スナク首相率いる保守党は、この局面を打開すべく様々な選挙公約を掲げているが、特に注目されているのが徴兵制の復活である。具体的には、若者に平時での兵役や社会奉仕活動への参加を義務付ける国民奉仕制度(ナショナル・サービス)と呼ばれるものであり、欧州(ノルウェー等)やシンガポールなどでは広く採用されている。

英国でも1949年にナショナル・サービスが導入され、17歳から21歳のすべての男性に対し、18カ月間の兵役義務が課せられていた。第2次世界大戦後のインドなどの旧植民地での治安維持に必要な兵力を補うために導入されたが、1960年に廃止されている。保守党が構想する現代版ナショナル・サービスでは、18歳に達した国民は男女問わず、12カ月間の軍隊入隊か地域社会でのボランティア活動(毎月1回の週末、消防、警察、高齢者施設等で実施)のいずれかを選択することになる。新設予定の王立委員会がプログラムを策定し、2029年までに英国全土で実施する目標を掲げ、2025年9月には試験運用が開始される計画だ。今回案では訓練可能な人数に限りがあるため、必ずしも全員が軍務に就かなくてもよいが、大学生向けの延期や免除制度等は設けられていない。そのため、実際には軍事訓練も週末や長期休暇を利用して集中的に行われることが予想される。

一見すると支持率が下がりそうな政策だと思われるが、票田となる高齢者の支持が高く、党内からの反対の声が多いにもかかわらず、スナク首相はこの政策が支持率アップにつながると信じて止まない。実際に英国のNPO団体オンワード社が実施した世論調査(2023年8月30日公表)では、ナショナル・サービスの復活に対して57%が賛成し、反対はわずか19%にとどまっている。保守党の一部の集会では歓迎ムードも見られ、日本人の感覚では理解しがたい。しかし最も衝撃を受けたのは、この話題を英国の女子高に通う娘とそのクラスメイトに尋ねた時だ。まだあどけなさの残る数名は「国のために尽くすこと」に意義を見出しており、兵役に就く覚悟があると語っていたことに、筆者は言葉を失った。この背景には、英王室が絶えず出征してきた歴史を誇りに思う意識が根付いているようだ。暴露本出版などで物議を醸すヘンリー王子ですら、2007年と2012年の2度アフガニスタンに派遣され、戦闘ヘリコプターの操縦士として実戦を経験している。無論、今回も英王室の参加が期待されており、保守党は、ジョージ王子(10歳)、シャーロット王女(9歳)、ルイ王子(6歳)も対象に含めることを目指しているそうだ。

今回の政策の背景には、英国軍の深刻な兵員不足問題がある。平時での徴兵制の利点の一つは、一度訓練を受けた予備役をいつでも戦争に動員できる点だ。前回のナショナル・サービス導入時も、奉仕者は兵役終了後の4年間は予備役リストに載り、その間に要請された場合は従軍することとなっていた。欧州では冷戦終結後、多くの国が徴兵制を停止・廃止したが、ロシアによる欧州への侵攻が現実味を帯びる中、各国で再導入やそれに向けた議論が行われている。欧州各国が戦争の当事者となる可能性を完全に排除できない中、英国の徴兵制復活の動きが、他の先進国にも影響を与えるか注目される。

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