俳句の効用

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2020年03月26日

  • 河口 真理子

今年に入って俳句を始めた。たまたま仕事を通じた友人がセミプロ級の俳人であることが分かり、今年1月にSNSでつながった際、挨拶代わりにその場で作った五七五を送ってみた。そしたら即座に添削されて返ってきたので、毎日SNSを通じて指導いただくことになった。俳句は名所旧跡に吟行しないと作れないと思っていたが、風景を切り取ればよいので日常風景でも十分に作れる。それが面白くて毎日作るようになった。通勤途中、ランチタイム、買い物中でもひらめけばその場で先生に送る。と、遅くても翌日にコメントが返ってくる。俳句は五七五で季語を入れるのは誰も知っていると思うが、動詞は使っても一つ、形容詞は使わないという。切り取った情景を説明せずに描写する。スマホのスナップショットの言葉版といえるだろうか。だから日常の生活の中から題材は得られる。

通勤時にはこんな句を作っている。

成人式の3連休明けの出勤時、玄関で靴を履きながら「玄関の花 しおれている 小正月」。みぞれが降った朝は「街角の 花屋の店先 そこは春」。駅前の交差点では「交差点 コートの群れが 走り出す」。正月から2週間もたったらさすがに花もしおれている。みぞれが降るほど寒くても花屋ではガラスのむこうに春の花があふれている。信号が青になると、皆走り出すのは当たり前の通勤風景。

家の中でも 洗濯物を干しながら「ベランダの シャツ阿波踊り からっ風」。料理中に「換気扇 音でビックリ 春一番」。1句目は説明不要だが、二句目は突風が吹くと止まっている換気扇がドンといって回り出すことがある情景を詠んだもの。「A」だから「B」という因果関係を説明せず「B」だけ表現してAが原因かという情景を読者に想像させるのが俳句の極意だという。

また動詞や形容詞をなるべく使わず名詞が大事だというので「昼下がり 梅の花びら 滑り台」本来なら子どもたちがいる筈の公園もコロナ騒ぎで誰もいなくて、滑り台には梅の花びらが残っている状況を詠んだもの。

一方、リサーチではいかに説得力ある「AだからB」という論理を組み立てられるかがキモなので、Bだけ表現してAは触れないとは違和感があり、最初は口封じされた気になった。しかしBだけで的確にAを連想させるには、論理的にBを選ばなければならない。いずれも論理的思考が必要だが、論理の流れがリサーチと俳句では真逆なのだ。リサーチが広い領域から情報を絞り込んで結論の1点に至る、つまり広げた扇から中心の要に至るのであれば、俳句は要から始まって想像力を末広がりに広げる。そう理解するとリサーチ能力を高めるため俳句は良い鍛錬になると思う。また情景を切り取るという直観力、そして変哲もない日常にささやかなアートを作ることができる、それは日々の生活に潤いをもたらす。通勤などという面白くもないことが楽しめるようになる。たった17文字でかつ安価でかつ奥の深いアートの世界を生み出してくれたご先祖様に感謝である。リサーチ力のトレーニングのためにも、俳句はオススメだ。

最後に、この世界的な社会経済の大混乱が収まりますよう願いをこめて。

満月や 俗世を祓え 春颯

そして、どこにも春は来るし、希望はある。

裏門の 桜一本 春告げる

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