日本とロシア、どちらがリッチ?

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2019年11月27日

  • 佐藤 清一郎

旧ソ連・東欧圏のエリート外交官養成機関として知られるモスクワ国際関係大学に留学していた当時、国の豊かさとは何かということを考えさせられた出来事があった。

マンツーマンでのロシア語講義が終わった後、大学の事務局に出入りして留学生の世話役だったロシア人男性と意見交換する機会がよくあった。モスクワ国際関係大学には、その性質上、日本の外務省や通商産業省(現 経済産業省)など官公庁からの留学生はいたが、民間企業からの留学生は珍しかった。そのようなこともあり、忙しい中、よく付き合ってくれた。彼とは、社会主義と資本主義の仕組みの違いやロシアの市場経済化への道筋はいかにあるべきか等様々な話をしたが、あるとき、そもそも日本とロシアは、どちらがリッチかという話になった。共産党主導により資本主義とは異なるシステムで経済成長を模索した結果、国家財政が困窮に陥り混乱の中にあったロシアと資本主義システムを基本に戦後の高度成長を経て成熟段階へと移行した日本を比較すること自体にかなり無理があるのではないかとも思ったが、結果は、かなり予想外となった。

筆者が留学していた1993年当時は、ソ連邦崩壊(1991年12月)から少し時間は経過していたが、依然として混乱した状況で、人々の戸惑いは一目瞭然であった。モスクワの有名なアルバート通りをはじめ、メインストリートには物売りが溢れ、日々の生活で精一杯という状況だった。このような風景を、日々目の当たりにしていたこともあり、私は、「それは、日本の方がリッチだと思いますよ。」と答えたのだが、彼の答えは違っていた。「それは、ロシアでしょ。なぜなら、世界最大の国土を有するロシアの地下にはたくさんの資源が埋まっているから。国土の小さな日本とは比べ物にならないですよ。」というものだった。彼は、日本の高い技術力や良質な労働力の存在は認めつつも、それを豊かさの源泉とは直接には認識できておらず、ひたすら保有資源に特化した話をした。確かに、ロシアの領土の地下に眠る様々な資源は、政治力や軍事力の強力な後ろ盾となっており、ロシアをロシアたらしめている富の源泉であることに間違いはないので、彼の意見を否定できなかった。と同時に、こんなに経済が混乱した状況にあっても、自国が豊かであると言い切るロシア人の姿勢には、凄く驚いた記憶がある。

ロシア人との会話の中で、私は、日本は、蓄積された技術や資本、そして、労働者の勤勉さや熟練度の高さなどにより豊かさを生み出す能力が高いと考えて、日本の方がリッチだと言ったのだが、彼は、国土面積や保有資源が豊かさを生み出す源泉と考えてロシアの方がリッチだと言ったのだ。そのため、最初から話がかみ合わないのは当然であった。今思えば、双方とも当たっているが、双方とも間違っているかもしれない。

そもそも、国の豊かさは何で決まるのか。その裏付けとなるものを改めて考えてみると、天然資源、技術力、労働の質、金融資産だけでなく、平和、自由、美しい自然、社会資本、文化・伝統など、たくさん存在する。仮に、これらの要因すべてを正確に貨幣換算し、それを重要度に応じて応分評価することが可能であれば、豊かさのランキングも得られるような気がするが、物質的なものはともかく、平和、自由、文化・伝統といった、いわゆる精神的なものに影響されるような概念をどう評価して数値化すればよいか、相当に難しい話である。となると、国の豊かさを比較すること自体かなり悩ましい話で、世界で一番リッチな国は何処かというのは、ある意味、住みたい街ランキングみたいなもので、結果が出ても、人それぞれ違った印象になってしまうだろう。

ただ、20数年前のロシア人との会話で強烈に脳裏に残ったのは、やはり、資源の有無は、国民が国の豊かさを感じる大きな要因かもしれないということである。資源が乏しい日本で生まれ育った人間には、やや理解しにくい感覚ではあるが、ロシアはもちろん、東南アジア、中東、アフリカ等で資源を豊富に有する国は、多かれ少なかれ、同じような感覚を持っているかもしれない。経済の発展段階や景気がどうであれ、資源保有国は、やはり無視できない存在であることを再認識しておきたいところである。

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