全世代型社会保障検討会議への微かな期待

—屋上屋に終わらぬよう、社会保障の真の議論を—

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2019年11月08日

  • 道盛 大志郎

去る9月20日、キラ星のごとくの有識者の参加のもと、官邸で賑々しく「全世代型社会保障検討会議」の第1回会合が開かれた。そこで安倍総理は、「これまでの社会保障システムの改善にとどまることなく、システム自体の改革を進めていく」のだとして、「人生100年時代を見据えながら、お年寄りだけではなく、子供たち、子育て世代、更には現役世代まで広く安心を支えていくため」「社会保障全般に亘る持続可能な改革を更に検討して」いく、と締めくくって見せた。

しかし、それから1か月半が過ぎてなお、音なしの状態が続く。会議は開かれてすらいない。世の中の関心は低く、失礼ながら、失速状態を危惧するほどだ。

まあ、総理自身が、消費税について、「安倍政権でこれ以上引き上げることは全く考えていない」、「今後10年位の間は上げる必要はないと思う」と度々発言している中での検討会議だ。総理に遠慮してシステムの入口の議論を封殺したら、これまでの議論の延長線が関の山だ。

「システム自体の改革」を志すなら、入口も出口も双方向の議論をしなければ、まともな議論にはならない。その際、結論として、消費税のような大玉の入口やそれに相応する出口を今決めることが必須な訳ではない。全体を整理した上で、当面は想定されている程度の見直しにとどめ、消費税をはじめとする大きな話は、今決めなくても、大まかな選択肢だけ示して今後の検討課題とすればよいだけだ。財源に限りがある中での社会保障だ。全体的整理をして洗いざらい議論しないと、「システム自体の改革」像は決して見えてこない。

敢えてこのような苦言を呈するのも、検討会議という大仕掛けを作った意義をどこに求めるか、現状では理解が非常に難しくなってしまったからだ。

この度の会議は、これまでとかなり異質だ。

現政権の下でも、既に「社会保障改革推進会議」が存在しているのに、さらに「システム自体の改革」「社会保障全般に亘る持続可能な改革」を目指すため、屋上屋を架している。

さらに、「全世代型」の社会保障を検討するというのに、検討する9人の有識者は、56~73才と高齢者に偏り、女性は1人しかいない。しかも、9人のうち3人は功成り名を遂げた財界人、5人は学者かエコノミストで、社会保障そのものに関わってきた人やその受益者・当事者は殆どいない。それらの人からは、与党にヒアリングしてもらう、というのが担当大臣の説明だが、それなら検討会議の役割は何なのか。「システム自体の改革」を目指すというのに、当事者たちの意見を聞きもしないで、有識者たちが何を「検討」しようというのだろうか。

その有識者自体の扱いも気懸かりだ。会合で有識者からは、「経済・財政・社会保障の長期展望を調査・分析」する必要性が指摘されたり、「給付と負担の在り方に向き合っていくことが求められる」、「医療や介護のあるべき姿を示す中で、給付と負担の在り方を考えていくことが重要」といった発言がなされている。もっともな指摘だと思う。しかし、会議直後の会見の記者との問答で、担当大臣の口からは、「給付と負担についても、議論にもちろん、いろいろなっていくと思いますけれども、私自身はそのような考え方(筆者注:あまり議論にしない)でおります」と、いきなりの冷や水が浴びせられている。

私は、2008年に福田政権の下設置された「社会保障国民会議」が、その後の改革の議論の大枠を方向付け、自民党⇒民主党⇒自民党の政権交代を跨いだダイナミックな政治的議論を経て、現状の社会保障システムの元となった、と考えている。そこでは、各界各層から集められた16人の委員と、「雇用・年金」、「医療・介護・福祉」、「少子化・仕事と生活の調和」の3つの部会を併せて合計50人の有識者により議論が進められた。現政権が強調する、全世代の問題意識だって、この時から既に議論されており、別に目新しいものではない。

「国民会議」が設置された際に国家公務員であった筆者は、事前の打ち合わせで、「社会保障全体を議論するのであれば、増税の問題も避けて通れませんが。」との問いかけに、「もちろん、避けて通れない。それでよい。」と総理が返答されていたのをはっきり覚えている。だからこそ会議の意義が生まれたのであり、長期展望を踏まえた全体的な議論の場となった。

今般の検討会議は、年末までは、在職年金制度の見直しをはじめ、6月の骨太の方針に記載された検討課題の具体化を扱うことになるのであろう。スケジュール的にやむを得ない。しかし、既に骨太に記載されたり所掌する審議会で検討が進められている課題について、この会議の有識者たちは何を議論するのだろう。利益団体を含めた意見調整は、担当の大臣を中心に政府が責任をもって取り進めていけばよいだけだ(もちろん難題もあるのだが)。キラ星のごとくの有識者の役割は、あったとしても極めて乏しい。

期待したいのは、年明けからだ。医療を中心に当面の制度見直しを手掛けることになるだろう、というのが大方の見方だが、これまでの延長線上では、あまりに寂しい。屋上屋のそしりも免れない。まずは、一度虚心坦懐に全体を振り返り、有識者の目で問題の所在をよく議論した上で、国民に分かりやすく示してほしい、と思う。「国民会議」から既に11年が経過している。政治的な総理発言に過度に縛られることなく、せめて11年経過しての全体像を示した上で、当面の課題に取り組むことはできないのか。木を見て森を見ず、に陥らないことを期待している。

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