日本橋再開発を通じた地方経済の活性化
2014年11月04日
国立競技場は今年56年の歴史に幕を閉じ、解体される予定だ。56年と言われると長く感じるが、現在でも人気観光スポットである東京タワー(1958年竣工)や大阪の通天閣(1956年竣工)は、ともに国立競技場と同じ時期に建設されている。他にも同じ時期に建設された建造物は多数あり、レインボーブリッジと瀬戸大橋(5年差)、SHIBUYA109と大阪マルビル(3年差)、早稲田大学の大隈講堂、一橋大学の兼松講堂と東京大学の安田講堂(2年差)などはほぼ同い年である(図表)。
SHIBUYA109(渋谷109)が30年以上も前からあったことに個人的には驚いたが、他にも古くからある施設が日常的に利用されているケースは多い。例えば、日本橋三越本店や迎賓館赤坂離宮、日光金谷ホテルの本館などは、竣工から100年以上が経っている。大学施設に至っては、築70~80年の建築物が残っていることは珍しくなく、京都大学の吉田寮は101年、慶應義塾大学の旧図書館は102年経った今でも利用されている。
しかし、従来通りの機能を維持していても、周辺の環境と調和しなくなってしまった建造物の例もある。東京の日本橋は、東海道五十三次(大阪までだと東海道五十七次)の起点として有名だが、1964年の東京オリンピックに伴う首都高速道路の建設によって、上空をコンクリートに覆われてしまった。結果、終点の一つである京都の三条大橋のような風情ある景観が失われてしまった(※1)。
この日本橋問題は10年以上議論されているが、一向に解決の目途が立っていない。確かに、日本橋の上空を空けるためだけに首都高を地下化するのは無駄に思える。しかし、首都高は老朽化からどちらにしろ大規模な修繕が必要であり、地下化をすれば日本橋周辺への直接的な経済効果も見込まれる。また、日本橋周辺の再開発は、観光スポットをまた一つ増やすということだけなく、例えば、日本橋を起点とした東海道や中山道、日光街道など五街道ツアーの企画などを通じて、地方経済の再生にも貢献することができるだろう。外国人観光客が、日本橋から日本全国に旅立つといったプランも考えられる。東京オリンピック・パラリンピックを契機に、失われてしまった日本橋の風情を取り戻すというのも、趣があって良いのではないか。
台風や地震、火山噴火など自然災害の多い日本において、これほどまで多くの建造物が震災や戦火を乗り越えて現存し、日常的に使われていることには驚くばかりである。ここ数年、建設業の人手不足や(※2)、円安などによる資材価格の高騰が問題となる中、まだ使用可能な建造物を補修・改築し、末永く使っていくことも日本の知恵の一つだろう。2020年の東京オリンピック・パラリンピックを契機に、古い建造物と周囲の環境との調和によって生み出される付加価値に改めて注目し、景観を重視した都市計画の見直しなどを検討していくべきかもしれない。
(※1)もう一つの終点である大阪の高麗橋も、東横堀川の上に阪神高速道路1号環状線が建設され、日本橋と同様の状態になっている。
(※2)詳しくは『大和総研調査季報』2014年秋季号(Vol.16)「人手不足は本当に深刻なのか?~建設業の人手不足・男性の非正規化・雇用のミスマッチなど~」(田中豪)を参照。
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