国の厚意に甘えて良いのか

利便性向上の影に落とし穴

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2014年09月18日

  • 引頭 麻実

先月、「ふるさと納税」をより使いやすくする施策を政府が検討する旨が報じられた。

「ふるさと納税」とは、都道府県・市区町村に対する寄附金の別称である。寄附を行った場合、寄附金のうち2,000円を超える部分について、一定の上限まで、原則として所得税・個人住民税から全額が控除される制度である。どの自治体に寄附しても良いが、控除を受けるには確定申告を行う必要がある。

総務省によると平成25年度では全国10万人余りから、約130億円の「ふるさと納税」の寄附金が集まった。このメジャーになった制度をより使いやすくするための施策として、税の控除を住民税に一本化し、確定申告を省略できるようにすることや、税額控除できる寄附の上限を現在の2倍にすることなどが検討される模様。地方活性化の一助になることが期待されている。

個人的には非常に嬉しい施策である。何といっても確定申告は時間がかかるし面倒である。税理士にお願いするのも手ではあるが、当然ながらお金がかかる。その手間を省いてくれるというのであるから、ありがたい限りである。しかし、一方で、私たち国民が確定申告を体験できる機会がまた一つ減ってしまうという見方もできる。

平成25年度の所得について、日本における個人の確定申告者数は2,100万人余りと、全就業者数6,300万人余りに対して約1/3となっている。米国では全ての個人が確定申告を義務付けられているのと対照的である。日本では多くのサラリーマンの場合、雇用主が給料から所得税等の源泉徴収を行い、また年末調整も行ってくれるため、確定申告を行う機会は少ない。これは何を意味するのか。

米国では、毎年の確定申告に向けて、各個人が税金対策、いわゆる節税策をいろいろと考えるのが常である。かなり手間がかかるものの、考えるか考えないかで、税金の還付の額に大きな差が生じる。日本の場合は、確定申告をしないのであれば、年末調整分以外での税金の還付は受けられない。手間がかからない分、工夫の余地も生じないことになる。

長々と税金について書いてきたが、問題はここにある。国は国民のことを想い、できるだけ、簡単に、便利にと様々な行政サービスの工夫をしてきている。この点に関して、感謝は尽きない。しかしながら、こうした国の国民に対する厚意は一歩間違うと、国民から考える機会を奪いかねない。税金の例でいえば、確定申告というのは、自分はどれだけ税金を払っているのか、税率はどのくらいなのか、節税できるようなアイテムはあるのか、というように、税金についてより深く考えることができる数少ない機会である。住宅ローンを組んだときに初年度に確定申告をして、その際に初めて税金の様子がわかったという方々も多いだろう。手間がかかるが、得るものも大きいのである。

これには行政に対するモニタリングの意味もあるだろう。手間をかけて、勉強することによって、国の仕組みがわかっていく。国民として何を見ていったら良いのか、一人ひとりが気づくことになる。こうした動きが国の、あるいは行政の質を高める方向に寄与することは容易に想像できる。もちろん全てのケースに当てはまるわけではないが、国民の義務を果たす、あるいは権利を行使する場合の根幹のアクションについては、利便性よりも考える機会(=手間)を選択する方が、長期的には国益に適う、という視点もあるのではないか。考えるところに発展がある。

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