陳腐化した「フラジャイル・ファイブ」というレッテル
2014年02月24日
昨年来、新興国悲観論が幅を利かせてきたが、その中で生まれた新語に「フラジャイル・ファイブ」というものがある。ブラジル、インド、インドネシア、トルコ、南アフリカが比較的大きな経常収支の赤字を抱えていることが問題視され、これら5カ国は外部環境の悪化に脆弱(fragile)であるとレッテルを貼られたのだ。
しかしこの新語、早くも陳腐化しているように見える。例えば、米国の量的緩和縮小観測などによる「新興国売り」がいったんのピークを迎えた昨年8月末と足元(2月18日時点)の各国通貨の対ドルレートを比較すると、トルコが▲6.3%、南アが▲5.1%、インドネシア▲4.2%と、かなりの幅で一段の下落が進んでいるのに対し、ブラジルは▲0.2%と均せばほぼ横ばい、インドは+7.8%となっており、5カ国間の優劣が明確化している。その背景には、「フラジャイル」の元凶と位置付けられた経常収支そのものの変化がある。トルコや南アフリカの経常赤字が依然過大であるか、ないしは拡大が止まらないのに対し、インドの赤字は昨年前半のGDP比5~6%から、年末にかけて急速に減少したのだ。
ここから得られる示唆は主に二つある。一つはインドの経常赤字縮小の一因が、これまでの為替レートの下落にあった可能性が高いことである。90年代後半のアジア通貨危機をはじめとして、通貨の下落はしばしば新興国の経済成長再開のきっかけとなってきた。経常収支へのインパクトの濃淡、時間的ラグは、金融政策のスタンスやそれを映じた内需の強弱、更には貿易構造などによって変わってこようが、トルコや南アにせよ、今後経常赤字がはっきり縮小に向かう可能性は小さくない。
インドのケースが示す、もう一つ重要なことは、経常収支赤字の縮小というマクロ指標の変化が、マーケットに比較的素直に織り込まれているとみられることである。1月にアルゼンチン・ペソが急落した際、トルコ・リラや南ア・ランドはその余波で下落を余儀なくされたが、マーケットは「フラジャイル・ファイブ」というレッテルのもとに、インド・ルピーやブラジル・レアルを売ることはなかった。であれば、これまでの通貨下落がインドに遅れてトルコ等の経常収支を改善させた際には、それら通貨の下落圧力も後退すると期待することができる。また、「新興国危機」の怖さは、A国の苦境がB国に伝播し、もともと悪くなかったB国のファンダメンタルズが市場の圧力によって悪化するような事態がしばしば起こることにある。だが、現在見られる市場の識別能力は、こうしたリスクを低下させるだろう。
もちろん、だからすべてはOKというわけには行かない。再びインドに着目すれば、ルピー回復の背景には、経常収支赤字の縮小とともに、金融政策運営の改善期待があったと思われる。そこにはラグラム・ラジャンというスーパー・スター的エコノミストの総裁就任がもたらした過剰期待も含まれているのかもしれないが、総裁交代後の準備銀行が行ったことは非常にシンプルである。それは、インフレ抑制なしに持続的な成長はないとして、金融引き締め姿勢を明確化したことである。シンプルではあるが、政治的プレッシャーなどもあり、そう簡単なことではない。インドに限らず、総じて新興国は景気に勢いがなく、景気刺激か物価抑制かのジレンマの中で、二兎を追うような政策に終始し、結果的にインフレ圧力を温存しがちな中央銀行が多い。特に、トルコや南アフリカなど、「フラジャイル・ファイブ」の「負け組」はインドのシンプルな政策転換に学ぶことは多いはずである。
最後に、もう一つ指摘しておきたいのは、米国の金融緩和縮小、いわゆるテーパリングの新興国に対する負のインパクトが誇張されすぎてはいないかということである。テーパリングが新興国からの資本流出を招く要因であることは否定されないが、インドと他の「フラジャイルな」国々との対比が示すように、経常収支の赤字が縮小すれば、資本流出圧力はさほど問題にはならなくなる。その点、新興国にとって重要なのは、テーパリング以上に、ユーロ圏の財政政策ではないかと思うのである。
周知のように、ユーロ圏では財政危機国を中心に、劇的な財政緊縮政策を継続してきた。その結果、内需の収縮が進み、恐らくは競争力も多少は改善し、急速な経常収支の改善が進行している。スペインなどは2008年にGDP比10%に達していた経常収支赤字が、昨年には黒字に転換したのである。この間、ドイツやオランダのようなユーロ圏コア国も、お付き合い的緊縮財政を継続し、経常収支黒字を拡大させてきた。
当たり前だが、経常収支は世界全体ではゼロサムであり、ユーロ圏における半ば強制的な経常収支の黒字化が、新興国の赤字拡大の重要な背景にあったとみなし得る。特に、欧州の貿易相手国としての比重が大きいトルコや南アフリカが蒙った経常収支赤字化圧力は大きかったに違いない。そして、今後を展望するに、ユーロ圏経済の小康と改善は、経常収支黒字化プロセスが逆転しないまでも緩やかになることを示唆している。トルコ等を含め、新興国が総体として経常収支を改善させる条件は整いつつあるということである。
「フラジャイル・ファイブ」というレッテルの陳腐化は今後も着実に進むのだろう。それはもちろん、世界経済にとっての朗報に他ならない。
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