MRJ初飛行を機にYS-11を振り返る

2015年10月13日

2015年10月下旬、いよいよ日本初の国産ジェット旅客機であるMRJ(三菱リージョナルジェット)が県営名古屋空港で初飛行する。いわゆる日の丸旅客機は、1962年に初飛行したYS-11以来、53年ぶりである。航空産業は自動車産業以上にすそ野が広いと言われている。日本はこれまでも米ボーイング社の旅客機の共同生産に参加しており、すでに日本の航空技術は高い水準にあると考えられるが、国内で本格的な旅客機製造が行われれば、製造業を得意とする日本の新たな基幹産業になる可能性もあり、人々の期待は大きい。

もともと日本の航空産業は技術水準が高かった。三菱のゼロ式戦闘機をはじめ、中島飛行機(※1)の隼など、第二次世界大戦以前から優れた航空技術を誇っていた。そうした技術は敗戦により大きな分断を余儀なくされたが、戦後、それらの技術者の指導の下で生産されたのがYS-11であったことはよく知られている。

当時、YS-11は60数名乗りの中型機として開発された。見た目はプロペラ機であるが、ジェットエンジンの推進力によりプロペラを回すターボプロップエンジンという、当時はまだ比較的新しいエンジンが採用された。エンジンは英国のロールスロイス社製のものであったが、それ以外は国産と呼べる旅客機である。海外輸出されたものも含めると、合計で182機生産された。機体は非常に頑丈に造られており、現在でも航空自衛隊などで活躍するなど、今では日本の技術力の高さを示していると言われる。

しかし、販売当初は決して評判が良いものではなかった。都市部の空港に比べると設備の不十分な地方空港に就航するローカル線用の機体であったのに、はじめは機体から地上に降りるための自動タラップが備わっていなかった。機体の輸出を見込んで生産したが、座席周りの空間が外国人には狭かった。YS-11の製造会社は日本航空機製造という、政府と複数の民間航空機関連企業が出資して設立した会社だったこともあり、海外販売において組織的な対応が難しく、機体の海外航空会社への売り込みに苦戦した、などである(※2)。経営的にはあまり成功したとは言えないものだった。

高い技術力は国を支える重要な要素であるのは間違いない。しかし今後は、マーケティング力や組織力により戦略的に売り込んでいく力がやはり必要だろう。もちろん、今回のMRJではそうした点を相当意識していると聞く。ただ、日本の産業全体ではややもすれば技術力の高さを絶対視しがちなところがある。売り上げを伸ばす、すなわち生産性を高めることも重要で、そのためにはバランスのとれた戦略が求められよう。間もなく行われるMRJの初飛行を機に、今一度、我々はかつてのYS-11の教訓を思い出す必要があるのではないか。

(※1)現在は存在しない会社であるが、主にその系譜は現在の富士重工業(株)が引き継いでいる。
(※2)その他にも、飛行機の進行方向を変える操縦桿が油圧式でなくワイヤー式であったため、操縦には相当の腕力が必要だったとの話もある。

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