転んでもタダでは起きなかったスティーブ・ジョブズ

イノベーション経営への視点(2)

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  • マネジメントコンサルティング部 主席コンサルタント 吉村 浩志

今年もまたこの季節がやってきた。ここのところ恒例となっている新型iPhoneの発表の季節である。アップル製品が好きか嫌いかは別として、アップルが無視できない存在であることは論をまたないだろう。


しかし、アップルがこれほどの存在となったのは、そんなに遠い昔のことではない。また、現在に到る過程においても、必ずしも、成功の連続ではなかった。むしろ、失敗の中にこそ、成功に到るきっかけがあったと考えられる。


本稿は、そうした問題意識のもと、スティーブ・ジョブズの一つの「失敗」に着目し、その「失敗」が持つ意味を考えてみたい(※1)


「僕らは絶好の機会を見逃していた」


起点となるのは、今を遡ること15年前の2000年である。この年は、1月にスティーブ・ジョブズが暫定CEO(interim CEO)から正式なCEOとなった年であり、アップルの復活が確実なものとなりつつある年だった。


当時のアップルが特に力を入れていたのが、動画編集の領域だった。前年の1999年に発表されたiMovieは、後に具体化される「デジタル・ハブ構想」の先駆けとなるものであり、このソフトを使えば、ビデオカメラからMacに取り込んだ動画を簡単に編集することができ、特別なスキルを持たない人でもオリジナルの動画を作ることができるというものだった。


しかし、世の中では別の動きが急速に浸透していた。それは、音楽分野だった。CDから音楽を取り込み、それをCD-Rに焼くという動きが、若者を中心に広がっていた。この分野でアップルは完全に後手に回っていた。普及型デスクトップのiMacシリーズには、2000年時点では、書込可能なドライブを搭載したモデルはなかったのである。


ジョブズはこのときのことを、フォーチュン誌のインタビューで次のように語っている。


「僕らは絶好の機会を見落としていた、これから必死になって追いつかなきゃいけない、と思ったよ」(※2)


デジタル・ハブ構想とiTunesの発表


その後のアップルの巻き返しは迅速かつ徹底したものであった。単に書込可能なドライブを搭載したモデルを発売するというのではなく、音楽の取込み、プレイリストの作成、再生、CD-Rへの書込を簡単にできるソフトの開発に取り組むこととなった。


この時、アップルが目を付けたのが、既に発売されていたMac用のプレイヤーソフト、オーディオンとサウンドジャムだった。既にAOLと提携交渉をしていたオーディオンは候補から落ち、結局、サウンドジャムに白羽の矢が立つこととなった。アップルがサウンドジャムの権利を獲得し、その開発者たちを開発チームに加えた時点は明らかにはされていないが、アップルがオーディオンに話し合いを申し入れたのが2000年6月と言われていることを踏まえると、2000年6月以降とみられる。


このサウンドジャムをベースにして、完成したのがiTunesである。iTunesは翌年2001年1月のマック・エクスポにて、デジタル・ハブ構想とともに発表されることとなった。


ここで、デジタル・ハブ構想とは、デジタルカメラ、ビデオ、CD、PDA(携帯情報端末)等のあらゆる機器をMacにつなぎ、写真、動画、音楽等のデジタル情報をMacで管理し、活用しようというものだった。


iPodはこの延長線上に位置づけられる。iPodの開発にあたっても、iTunesと同様、アップル社内のリソースだけでなく、社外の技術や専門家が最大限活用されている。こうして、iTunes発表の9ヶ月後には、iPodが発表されたのである。


参考までにiTunes及びiPodに関する主な出来事をまとめたのが次の表である(※3)

iTunes及びiPodに関する主な出来事

イノベーション経営への視点


以上、スティーブ・ジョブズの「失敗」とそこからの反撃の動きを見てきた。ここから何を学ぶことができるだろうか。筆者は次の三点を挙げたい。


第一に、「失敗」を「機会」としてとらえたことである。これまで気づいていなかった「機会」に目を向けるとともに、後発者としての優位性を活かしている点に注目したい。一歩出遅れるということは、顕在化しつつあるニーズの存在を知ることだけでなく、他社の製品が満たしていない利用者のニーズを探り当てることにも寄与するのである。


第二に、追いつくためには手段を選んではいられないということである。利用者にどのような価値を提供するかという観点から、社内のリソースに限らず、周囲を見回して、利用できるものは取り込んでいくという態度こそが、アップルが一気に先頭に躍り出ることを可能にしたと言える。


第三に、一つの「失敗」あるいは「機会」には、時として会社全体の方向性を変えてしまうだけのインパクトが潜んでいる可能性があるという点である。スティーブ・ジョブズが2001年1月のデジタル・ハブ構想は、その意味では、その後の10年間の会社全体の方向性を示すものだったと言える(※4)


もちろん、これ以外にも大事な点はあるだろう。また、アップルの成功をこの短い期間の出来事のみで語ることもできないだろう。しかしながら、ある時点での一つの結果に対する洞察、それに基づき行う決定・非決定が企業の将来を大きく変える可能性があることも事実だろう。


変化が激しい時代だからこそ、予期しない結果の持つ意味は大きくなる。「やられた!」と思ったときこそ、その意味を見極め、しなやかに、そして、強かに会社の方向を変えていくことが大事であると言えよう。


(※1)以下、本稿における事実関係の記載については、参考文献[1][2]の記載をもととしている。両者において若干の内容の相違があるが、その場合は[1]の記述を優先している。
(※2)参考文献[1]からの引用。インタビューの原文は[3]である。
(※3)参考文献[1][2]の記載をもとに筆者がまとめた。なお、トニー・ファデルのプロジェクト参加時期や果たした役割については、関係者の間でも意見が食い違うと言われている。本稿では、参考文献[1]の記述を優先している。なお、時期のうしろに疑問符が付いているものに関しては、明示的な時期の記載はないものの、参考文献[1]の記載から推定される時期である。
(※4)デジタル・ハブ構想の想定に反し、デジタル・ライフのハブとなろうとしているのは、Macではなくクラウド(iCloud)である。優れたビジョンというものは、終点においてではなく、出発点において、正しい方向性を示しているものだと考えるべきだろう。


参考文献
[1]『iPodは何を変えたのか』(スティーブン・レヴィ著、上浦倫人訳、ソフトバンククリエイティブ、2007)
[2]『スティーブ・ジョブズ』(ウォルター・アイザックソン著、井口耕二訳、講談社、2011)
[3]Brent Schlender “How Big Can Apple Get?” February 21, 2005 (フォーチュン誌のリンクにて2015年9月4日確認)

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