サマリー
7月1日は香港の英国から中国への返還20周年であった。また同月は、タイにはじまるアジア通貨危機の20周年でもある。通貨危機は東南アジア全域を巻き込み、韓国を陥落させ、その災禍は香港にも及んだ。周辺諸国の為替レートが暴落する中で、対米ドルペッグを続けてきた香港ドルの割高さが際立つ格好となり、カレンシーボード制の持続可能性に対する疑義の高まりから香港ドル売り浴びせが高じたのである。金利は急騰し、株価は暴落、返還後に中国マネーが大挙して押し寄せるという期待に依拠したユーフォリア(返還バブル)は一気に冷めた。
当時、香港経済に垂れ込めた暗雲は相当に濃いものだった。かの都市の選択肢は、ショック死か、緩慢な窒息死かの二つに一つでしかないようにさえみえた。市場のプレッシャーを断ち切るには、思い切った通貨切り下げによって、香港ドル安期待を無効化することが必要である。しかし、輸出入が片道で優にGDPを上回る香港がそれをやれば、激烈なインフレと交易条件の悪化によって生活水準が即座に、かつ大幅に低下する。一方、ペッグ制の維持を選択すれば、いつ終わるともしれない市場との格闘にさらされ続ける。しかも、仮にそれに打ち勝ったとしても、与えられる「ご褒美」は、割高な通貨と競争力の喪失でしかない。
しかし、98年こそマイナス成長を強いられたものの、香港経済は比較的速やかに立ち直り、カレンシーボード制を維持したままで、2000年代には平均年率4.1%、2010年代(~2016年)にも2.8%の実質成長率を記録し、2014年には一人当たりGDPが日本を超えた。この成果を支えたのは、言うまでもなく中国との経済的な関係深化である。
返還20周年を巡っては、習近平氏の強面(こわもて)のスピーチだったり、停滞する民主化だったりが強調されがちであるが、多くの議論にはややバランスの欠如を感じなくもない。中国の香港統治のあり方をほめるつもりはないが、香港の人々の生活水準の維持と改善に、香港の中国への返還が無縁であったとは考え難いからだ。また、今更言うまでもないが、返還前の香港は英国の植民地であり、レッセフェールという経済活動の自由さで知られる一方、まともな民主主義などはなかった。政治的には、返還をはさんで宗主国が英国から中国に変わっただけといなくもない。
振り返れば、返還前後には、「香港の中国化が進むのか、或いは中国の香港化が進むのか」が盛んに議論された。20年をまたず、答えは「香港の中国化」で決まったという理解が一般的なようだが、私見ではこの問いに結論を出すのはまだ早いように思える。一つ予想されるのは、「民主主義はないが、活発な民主化要求がある」という現在の香港の状況を、いずれ中国が経験することである。かねて、所得水準の上昇と中間層の台頭が民主化進展を後押しするという経験則の存在が指摘されてきたが、今のところ中国はその例外であり続けている。しかし、これは必ずしも中国の特殊性を示すものとは限らない。一人当たりGDPで8,000ドル程度という同国の所得水準が、民主化要求を高めるにはまだまだ不十分だということにすぎないのかもしれない。つまり、現在の中国が政治的自由への希求を封印して経済的成果を求める段階に留まっているとすれば、今後、より所得水準が高まった後に、「中国の香港化」が進む可能性は残っている。問題は、それが中国にもたらすのが経済的・社会的混乱と政治の流動化なのか、或いは中所得国に見合った持続可能な政治制度の構築に向けた取り組みなのかが分からないことだ。ただ、いずれにせよその時、香港の命運も大きな岐路を迎えることは確かであるように思える。
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