「イノベーション経営」への視点(3)

「Who knows what」の意義

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  • コンサルティング第二部 主席コンサルタント 吉村 浩志

「誰が何を知っているか」を知る


「無知の知」(※1)という言葉がある。それは、自分が何を知らないかを知ることが大事である、ということである。この言葉と同じくらい大事なことは、「誰が何を知っているか」(Who knows what)を知ることである(※2)


大事なプロジェクトを成功させる上でも、企業経営にとっても決定的に大事なのは、必要な人材を適切なポジションにつけることであると言える。必要な人材を適切なポジションにつけるには、その人が何を知っていて、何ができるのかを分かっていることが大事になる。


その意味では、「誰が何を知っているか」を知ることは、成功への近道であると言える。本稿では、「誰が何を知っているか」を知ることの意義を考えてみたい。


「ベル研究所」の「成功の秘訣」


最初に、古典的な事例を紹介しよう。イノベーションについて考える時に、避けては通ることができない組織、ベル研究所の事例である。


ベル研究所と言えば、「様々な革新的技術(電波望遠鏡、トランジスタ、レーザー、情報理論、UNIXオペレーティングシステム、C言語など)を開発していた」(※3)、あのベル研究所である。


ベル研究所の黄金時代の所長であるマービン・ケリーが重視したのは「物理的に近くにいること」(※4)だった。それは、ケリーが「駆け出しの研究者としてミリカン教授の研究室にいたとき」等、「新たな知識が誕生する場面に幾度も居合わせてきた」経験を通じて得た教訓である。


ケリーにとって、「電話で話すだけでは不十分」であり、「お互いがお互いのそば」にいることが何よりも重要だった。そのために、ベル研究所は、研究者や技術者が「廊下や昼食の席で偶然顔を合わせてお互いの抱える問題を話し合うこともあれば、自発的もしくは上司の指示で特定のプロジェクトに一緒に取り組むこともあった」という。


何かわからないことがある社員は、「数学者から冶金学者、有機化学者、電気伝搬物理学者、電子素子のプロに至るまで」様々な分野の専門家に気軽に意見を求めることができたという。そして、「ベル研究所に入社したばかりの右も左もわからない駆け出しが、難しい問題を突きつけられて苦労していると、たいてい上司からこうした専門家のところに行くよう指示された」と言う。


このように見てくると、ベル研究所の黄金時代が輝かしい成果で彩られていたのは決して偶然ではなく、必然的だったことがわかる。一人では突破できそうもない難しい問題にぶつかった時に、異分野も含めて様々な分野の専門家が存在し、そうした人物に気軽にアクセスすることができ、組織としてもそれを奨励していたのだから。そして、何よりも上司が、誰のところに行けば、それが解決するかを分かっていたと言うことが決定的だったと言える。


「適切なビルは文化に大きく寄与する」(※5)


実は、同じような事例には事欠かない。しかも、全く異なる分野でもそうなのである。例えば、「トイ・ストーリー」のピクサーである。


ピクサーと言えば、今は亡きスティーブ・ジョブズのことが想起されるが、ピクサーが「トイ・ストーリー2」で成功し、「見栄えのする本社」を作ろうとした時のエピソードが面白い。


当初は「一般的なハリウッド型のスタジオとして、プロジェクトごとの建物と開発チームのバンガローを作ろう」としていたところ、「それではチームが孤立した感じになる」と提携先のディズニー側が難色を示し、ジョブズもそれに賛同したという。その結果、「アトリウムを囲むように巨大なビルをひとつだけ作り、いろいろな形で出会いを促進するようにした」というのである。


ジョブズにとっては、「創造性は何気ない会話から、行き当たりばったりの議論から生まれる」ものであり、「たまたま出会った人になにをしているのかたずね、うわ、それはすごいと思えば、いろいろなアイデアが湧いてくる」ものなのである。だからこそ、出会いや偶然の協力が生まれやすい建物にすることが非常に重要だったのである。


シンクロニシティ


偶然性といえば、「シンクロニシティ」という言葉がある。自分の歳がばれてしまうが、自分たちの世代にとっては、この言葉はポリスのヒット曲に他ならない。もともと、この言葉は、「離れた場所で、ほぼ同時期に起きる」ことを説明する原理の事であり、心理学者であるカール・ユングにより提唱された概念である。


この言葉はある種、神秘主義的な匂いがするが、実はそれほど神秘主義的なものではないと思う。なぜなら、同じ地球上に住んでいる以上、同じような問題に直面している者は決して一人ではない。その意味で、同種の問題に直面している人々の間で同じようなアイデアにほぼ同時に到達すること自体は決して不思議ではない。一見、偶然に見えるものも、偶然の一言で済ませてはいけない。


ある問題で行き詰って出口が見えない時でも、実は全く異なる分野で同種の問題にぶつかっていることもあり得る。ベル研究所の組織原理やピクサーの発想には、ある種の偶然性を意識的に生み出そうという視点が確固としてあるところに注意したい。厳しい競争環境下では、単なる偶然に任せるのか、意識的に偶然を誘発するかには、大きな差が出ると言える。


本稿の冒頭では「誰が何を知っているか」を知ることが大事であると書いた。表面的に「誰が何を知っているか」を知ったつもりになるのでは、そこからの発展がない。大事なのは、ランチタイムや休憩時間に、「まさか彼があの分野に詳しいとは!」「彼女があの映画が好きなんて!」という瞬間が偶発することである。一見日常的な風景の中に、ダイナミズムを生み出すこと。それこそがイノベーションの鍵だと言えよう。


(※1)何も知らないのに、何かを知っていると信じている者より、何も知りもしないが、知っているとも思っていない者の方が、「智慧の上」では優っているという、ソクラテスの言葉に因む言葉である。参考文献[1]参照。
(※2)入山章栄氏は、「組織の本来の強みとは、メンバー一人ひとり」が「それぞれの専門知識を持って、それを組織として組み合わせること」にあり、「組織に重要なこと」は、「Who knows whatが組織全体に浸透」していることだという。参考文献[2]の第8章は、非常に示唆に富むのでご一読をお奨めする。
(※3)2016年12月25日時点のWikipediaの記載による。
(※4)ベル研究所及びマービン・ケリーに関する記述については参考文献[3]を参照した。
(※5)この言葉は、ピクサー社長のエド・キャットムルの「適切なビルは文化に大きく寄与するとスティーブは深く信じていました」による。この言葉を含め、以下のピクサーについての記述は参考文献[4]に拠っている。なお、ピクサーについては、参考文献[5]も併せて参照されたい。


参考文献
[1]『ソクラテスの弁明』(プラトン著、久保勉訳、岩波文庫)
[2]『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』(入山章栄著、日経BP社、2015年)
[3]『世界の技術を支配するベル研究所の興亡』(ジョン・ガートナー著、土方奈美訳、文芸春秋社、2013年)
[4]『スティーブ・ジョブズ』(ウォルター・アイザックソン著、井口耕二訳、講談社、2011年)
[5]『ピクサー流創造する力』(エド・キャットムル、エイミー・ワラス著、石原薫訳、ダイヤモンド社、2014年)

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