アセアン諸国(アジア新興国)のM&Aとバリュエーション(上)

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  • 矢幡 静歌
  • コーポレート・アドバイザリー部 主任コンサルタント 内山 和紀

近年、アジア新興国への日本企業の進出(M&Aや現地法人設立など)に関する報道をよく目にするようになった。これは、日本企業が成長戦略を進めるうえで新興国の成長市場への進出を重視するとともに、当該市場へのアクセスが増えていることの表れであると考えられる。本稿では、アセアン諸国におけるM&Aについて考察し、M&Aにおいて重要なバリュエーションについて検討する。今号(上)では、昨今のアセアン諸国への日本企業の進出と当該諸国へのM&Aのトレンドについて考察したい。


アジア諸国におけるM&A市場の推移
レコフM&Aデータベースによると、日本企業がアジア地域で行うM&A(In-Out)は、件数で北米や欧州を上回るものの、金額ベースでは最も低い(図表1)。具体的には、2012年における対アジアのM&A件数の割合は36.7%(189件)を占めているが、金額の割合は6.7%(4,957億円)に過ぎない。2008年からの推移を見ると、対アジアのM&A件数の割合は増加傾向にある一方で、金額の割合は低下している。とりわけ、2008年に起きた金融危機の影響を受け、2009年には件数・金額ともに低下した。以後、件数ベースでは回復傾向にあるものの、総額の回復は堅調ではなく、案件金額が小規模化している。

図表1:2008年以降の地域別M&A件数および金額の推移(In-Out)

図表1:2008年以降の地域別M&A件数および金額の推移(In-Out)
(出典)レコフM&Aデータベースより大和総研作成

主要なM&Aの形態は資本参加
次に、アジアにおけるM&Aを2003年から2012年の過去10年間という期間で形態別に見ると、資本参加が最も多く、次に買収が続く(図表2)。2012年では、資本参加が56%、買収が32%を占めている。いずれの年においても資本参加が最も多いが、その理由として、以下の3点が挙げられる。①一般的にM&A対象国における情報収集が困難であるため、ベンチマークできる類似企業の選定が難しく、M&A対象企業の会社計画の取り扱いについても慎重にならざるを得ない。②外国投資に関する規制が柔軟ではない場合も多いため、出資先企業において過半数支配を実現することが難しい。③対象国の政治的なリスクが高く、進出に際してカントリー・リスクを考慮する必要がある。このような状況のもとでは、日本企業は現地企業への資本参加により新興市場に参入し、その後はカントリー・リスクを見極めつつ事業拡大を検討していると考えられる。

図表2:アジアにおける業態別M&A(In-Out)件数の推移

図表2:アジアにおける業態別M&A(In-Out)件数の推移
(出典)レコフM&Aデータベースより大和総研作成


アジア進出の主要な手段としての現地法人設立
また、M&Aと並ぶ日本企業のアジア進出の足掛かりとして、依然として現地法人の設立が有効な手段となっている(図表3)。日本企業によるアジア、特にアセアン諸国における現地法人の設立は、金融危機の翌年となる2009年には2件と大きく落ち込んだが、翌2010年以降は飛躍的に伸び、2012年には2009年の10倍を超える21件の設立数となった。子会社設立や株式取得等の現地進出形態も増加しているが、現地法人設立数の増加トレンドは群を抜いている。M&Aを実施しない場合は、まず対象とする国に現地法人を設立することで足場を築き、徐々に事業を拡大させる方針を採る傾向にあると考えられる。

図表3:日本企業のアセアン進出形態の推移

図表3:日本企業のアセアン進出形態の推移

(出典)上場企業の開示資料より大和総研作成


小規模なM&Aからアジア市場に進出
日本企業がアジアでM&Aを行う場合、前述の通りその多くが従前よりも小規模なM&Aを実施し、様々なリスクを勘案しながら成長市場への進出を図っていると言える。また、金額の小規模化と件数の増加は、アジアにおける新興国企業の情報が以前よりも入手しやすくなり、日本企業側がアプローチできる企業数が増加していることを表しているとも言える。


アジア諸国におけるM&Aの地域別内訳
日本企業によるアジア諸国に対するM&Aの国・地域別の内訳では、アセアンの中所得国へのM&Aが増加していることも近年の特徴として指摘できる(図表4)。なお、所得国の分類は、世界銀行が定める分類(※1)に基づく。


2000年代前半から半ばにかけては、中国や韓国の企業が主なM&Aの対象となるケースが多かった。2010年代に入ると、アセアン中所得国(※2)へのM&Aが大きく増加し、2012年においては中国(46件)や韓国(26件)の件数を大きく上回る68件のM&Aが行われた。2012年においてM&Aの対象として多い国は、インドネシア(20件)であり、その後ベトナム(17件)、マレーシア(13件)、タイ(11件)と続いている。シンガポール(7件)のような高所得国だけでなく、カンボジア(1件)、ミャンマー(2件)などのいわゆる低所得国の企業に対してもM&Aが行われるようになったことは特筆に値する。


インドネシアとベトナムは中所得国の中でも低所得層(ローワー・ミドル)に分類されていることからもわかるように、日本企業のアセアン企業に対するM&Aは、アセアン諸国でも中所得国、その中でも特に想定的に低いローワー・ミドルに分類される国々に対して近年多く行われている。これらの市場では、比較的低賃金で高いスキルを持った人材を雇うことが可能である。また、当該市場に対するM&Aは、チャイナ・プラス・ワン、タイ・プラス・ワンといった投資やビジネスの一極集中によるリスクを回避する動きとしても見ることができる。このように、多くの日本企業がアジアのローワー・ミドルを今後の成長市場と位置付け、ビジネスチャンスを見出すべく、先鞭をつけている模様である。

図表4:日本企業のアジア諸国に対するM&A件数

図表4:日本企業のアジア諸国に対するM&A件数

(出典)レコフM&Aデータベースより大和総研作成


アセアン中所得国におけるM&A対象業種の推移
近年の傾向として、アセアン中所得国へのM&Aが増えていることを前述したが、ここでは当該諸国を対象に業種の分析を行いたい。


これらの国・地域で過去2年間にわたり件数・金額の伸びが最も大きい業種はソフト・情報である(図表5)。ソフトウェアや情報処理の業界におけるM&Aの伸びが著しい要因として、現地従業員の高いスキルや安い労働力を活用したオフショア開発の増加が考えられる。2012年においては、12件のソフト・情報処理業界のM&Aのうち11件が中所得国の中でもローワー・ミドルに分類される国々、すなわち低賃金の国々に対して行われている。


また、近年鉄鋼業界や食品業界におけるM&Aも増加しているが、このことは、経済成長に伴い国内市場におけるこれらの業界への需要の高まりを反映した結果ではないかと考えられる。さらに、生命保険・損害保険業界へのM&Aも増加しており、現地の市場が保険サービスの対象と捉えられつつあると考えられ、興味深い。これらのことからも、アジアの国・地域が、低賃金・労働集約産業の生産拠点としての顔だけでなく、消費市場としても注目を集めていると言えよう。

図表5:日本企業のアセアン中所得国企業に対する業種別M&A件数

図表5:日本企業のアセアン中所得国企業に対する業種別M&A件数

(出典)レコフM&Aデータベースより大和総研作成


おわりに
以上、数種のデータを用いて、日本企業が実施するアセアン諸国に対するM&Aやアジア進出について概観した。筆者は、これらのデータに基づき以下の点を近年の特徴として指摘したい。

  • ①これまでアジアの国・地域は、低賃金・労働集約産業をベースとする生産拠点として認識されてきたが、現在では経済発展に伴い生産拠点だけでなく消費市場・販売拠点としてもその重要性を高めている。
  • ②日本企業の多くが以前と比べて小規模なM&Aをアジアで行っているが、アーリーステージにある成長市場への進出を図るという日本企業の戦略と、アジアでM&A市場が活発化しているという状況の変化を表している。
  • ③アセアン中所得国、中でもローワー・ミドル市場への進出が盛んである。これらの国・地域では比較的低賃金で高いスキルを持った人材を雇うことが可能であると同時に、チャイナ・プラス・ワンなどの一極集中リスクの低減に繋がっている。
  • 今号では、前半としてアジアのM&Aの状況を概観し、アセアン諸国でのM&Aの増加について触れた。本稿の後半として、次号では、新興諸国でのバリュエーションについて考えてみたい(後半は7月に公表予定)。


(※1)2011年の一人当たりGNI(Gross National Income、国民総所得)に基づく。高所得:$12,476またはそれ以上、アッパー・ミドル:$4,036~$12,475、ローワー・ミドル:$1,026~$4,035、低所得:$1,025またはそれ以下。本稿では、アッパー・ミドルとローワー・ミドルを合わせて中所得と定義している。リストは以下のウェブサイトを参照。
http://data.worldbank.org/about/country-classifications/country-and-lending-groups
(※2)本稿において、中所得国にはインドネシア、ラオス、フィリピン、ベトナム、マレーシアおよびタイが含まれる。

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