社会保障制度の改革に乗り出したミャンマー

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豊富で比較的低廉な労働力、中間所得層の増加による消費市場の拡大への期待等によって、アジア新興国に対する日本企業の注目が集まっている。これらの国々は、経済成長を目指す一方、それに伴って顕在化した所得格差や都市・農村間格差を是正するための所得再配分、セーフティネットの提供による社会の安定確保、さらには早晩到来する人口高齢化への対応のため、社会保障制度の整備または再構築を進めている。ASEAN諸国においても、同様の問題意識の下、社会保障制度の整備に向けた取り組みが進んでおり、シンガポール、ブルネイを除く加盟国をみると、先行して経済が成長軌道に乗ったタイ、インドネシア、マレーシア、フィリピンにおいては社会保障制度の整備についても先行しており、後発組ではベトナムの制度が比較的発展しているが、カンボジア、ラオスは初歩的段階でありカバー率も低い。


2011年の現政権発足以来、民主化、政治・経済の改革と対外開放へと大きく舵を切ったミャンマーも、経済成長の実現とともに法制度等各種社会制度の再構築を進める中、社会保障制度の整備にも取り組んでいる。ミャンマーの社会保障制度は1954年の社会保障法を根拠としてきたが、2012年、改正社会保障法が成立した(なお、同法は公布と同時に施行されているが、関連細則は策定中であるため、実際の運用は始まっていない模様である)。


同改正法によると、社会保障制度は医療・ソーシャルケア保障、家族支援、障害・遺族給付及び老齢年金、失業給付、労災給付、公営住宅等その他制度から成るものとされている。従来の制度は医療、障害・遺族給付で構成されていたが、改正法では老齢年金及び失業保障が追加された(労災補償は別途労働災害補償法によって規定されている)。医療保障とともに社会保障制度の重要な要素である老齢年金(老後の所得保障)が追加されたことは最大の変化といえる。


制度の強制適用対象は一定数以上の労働者(従来は5人以上)を雇用する企業、政府の現業部門、金融機関等の組織、及びこれらに雇用される労働者であり、一般の政府機関、非営利企業・団体等、日雇い労働者、農業・漁業従事者、パートタイム労働者、街頭行商人等は強制適用対象外である。適用対象外の労働者も任意加入は可能であり、労災については労働災害補償法が適用される。なお、従来、外資系企業、外国企業の支店、駐在員事務所及びこれらにおいて就労する外国人は強制適用対象外となっていたが、改正法では同趣旨の記述がなく、一方で、強制適用対象機関等として「外資と共同で行う事業」が挙げられている。


制度運営にかかる組織体制をみると、労働省の社会保険庁(局レベル)が制度全体を統括し、地域・州・自治区単位及びタウンシップ単位で設ける各地の社会保障事務所が実務を扱うこととなっている。ミャンマーにおいては、地域間の所得格差、特にビルマ族が主に居住する地域と少数民族が主に居住する地域との所得格差が大きいことから、地方政府単位の運営とせず、中央集権的な組織体制としたことは妥当な判断であろう。


制度の財源は保険料方式を基本としており、労災給付基金と社会保障基金(労災以外の各種保障)に分別して管理され、両基金ともに、政府補助金が交付される。従来は、労働者の給与を基準に、2.5%が雇用主負担分、1.5%が労働者負担分であり、計4%を雇用主が納付することとなっていた。改正法には保険料率に関する記述はなく、別途定めることとなっているが、老齢年金及び失業保障の新設によって保険料率は上昇するものと考えられる。給付に関し、新設された老齢年金についてみると、15年以上納付した場合、平均給与(納付期間の平均)の15倍の金額が月払いまたは一括で給付されることとなっている。


改正社会保障法は、その第一の目的を「国の主要な生産力である労働者が社会生活と健康における安全を享受し、国の経済の発展を支援するため」としており、被用者が最大限の生産能力を発揮することに焦点を置いた制度であることがわかる。保険料率等の具体的内容を確認する必要があるものの、同改正法によって給付原資の充実、給付の改善が相当程度実現され、カバー率も、従来制度における1%程度(2011年9月の加入者数約56万人)から上昇し、同法が目的で述べた労働者の厚生向上に資することが期待される。


一方、農業・水産業従事者、日雇い労働者、パートタイム労働者等を今後どのように社会保障制度の枠組みに取り込んでいくかは大きな課題であろう。特に、GDPに占める第一次産業の比率で約36%、就業人口でみれば過半を農林水産業従事者が占める農業国のミャンマーにおいて、産業構造の転換を図る取り組みの一方、健全な経済成長のためには社会的セーフティネットの整備が不可欠である。各制度への任意加入が可能とはいえ、現金収入の乏しい農業・水産業従事者等が被用者同様に保険料を納付することは困難と考えられ、公的扶助で対応するのみならず、農業・水産業従事者等について非常に低廉な保険料を設定する等、何らかの救済措置が必要となるだろう。特に、ミャンマーの医療事情については、医師、医療施設、機材の不足のみならず、医療保障制度が未整備なため医療費の自己負担率がASEAN加盟国中でも極めて高く、貧困層や農村部住民にとっては医療サービスを受けることは実質的に不可能であることが指摘されてきた。ミャンマーにおいては、老齢者の支援は家族及びコミュニティが中心的な役割を担い、敬虔な仏教徒が多いという宗教的背景もあって、寄付等による困窮者の支援が多く行われている。そうした国民性や慣習は好ましいものとして認識する一方、社会全体で保障を提供する、安定的で持続可能な制度の構築も不可欠だろう。


ミャンマーへの進出を検討する日本企業にとって、社会保障制度は労働コストに直結するものだが、それに留まらず、同国に安定した社会制度が整備されることは投資環境として重要な要素であり、その点でも制度の動向に留意が必要だろう。

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