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第1回 高度成長期の日本と現代中国

ゲスト 宮﨑 勇 氏 元大和総研理事長(元経済企画庁長官)

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対談動画(ダイワインターネットTV)

中国は高度成長期の日本と似ているが、日本では高度化の過程で所得格差が縮小したが中国では拡大している。しかし当時の日本もけっしてうまくいく事だけではなく、多くの失敗をした。中国は課題の解決に向けて自信を持って良い。
川村

本日は亜太三人行、中国、日本、アジアを三人で行く、と言って良いかと思うが、その第一回である。私たちにも大変勉強になるゲストをお迎えした。宮﨑勇さんである。宮﨑さんは、経済企画庁事務次官、大和総研の初代理事長、経済企画庁大臣を歴任され日本を代表するエコノミストの一人だ。現役時代には、日本の復興と高度成長の経済計画に直接携わってこられた。今回は、こうした宮﨑さんの経験を踏まえて中日の昨日、今日、明日、について、主として経済を中心にした話題について縦横にお話を伺いたい。そこでまずは宮﨑さんと中国との接点から教えて欲しい。


宮﨑

戦後、日中間の政治的な交流は1970年代後半から開始されたが、経済的な交流は1980年代以降始まった。その、最初の頃から私は中国とは色々とご縁が深まった。当時、中国側の経済問題の窓口、というと失礼な言い方かもしれないが、は谷牧副首相と中国国務院発展研究中心の馬洪氏が一緒に来られて経済的な話し合いをしようじゃないかということで交流が始まった。日本側は大平首相の時代で、当時の外務大臣だった大来佐武郎氏が、大平さんから経済問題は君がやりなさいといわれて窓口になった。私は長い間、大来さんにお仕えしており、君も中国をやり給えと言われたこともあって、私も関わることになった。私は主に2つのルートで中国との交流が深まってきた。一つは、経済企画庁在籍時の時代、政府の交流、政府対話の一環のなかでの交流である。その頃、政府の各省で一緒に中国を訪問しようじゃないかということになって、私が団長になって各省の調査や情報担当の人たちと北京に行った。その時、馬洪さんや谷牧さんらとお会いして日中の交流会をやろうということになった。第二はその数ヵ月後、私は役所を辞めて大和総研に移ったのだが、その時に正式に谷牧さんと大来さんとの話し合いで経済知識交流会と言う組織を作って、お互いに勉強しようと言うことになった。それで大来さんが主催、実際には当時エネルギー研究所の理事長だった向坂さんが具体的なリーダーになり中国側の人たちと話し合いを行うということで「日中経済知識交流会」が発足した。

交流会は、これまで天安門事件があった年も開催してこれまで一度も途切れたことはない。毎年欠かさず日本と中国で交互に年一回の研究会を開催している。また、その後、広東省、陝西省、天津市などの地方レベルでも同じような組織を作って、そうした交流を深めている。なお、このような地方版の研究会は上海市の当時の汪道涵市長の音頭で発足したもので、しばらくの期間行った。もうひとつ深市の研究会もあったが、両市の経済発展と共に次第に発展的に閉会した。


川村

この企画は中国社会科学報の主催だが、中国でも宮﨑さんはご高名だ。社会科学院では「大和総研ですか。宮﨑先生はお元気ですか」と聞かれた。日本研究所の李薇所長からも宮﨑さんの様子を聞かれた。また、当時の若い研究者など多くを育成されたと伺っているが。


宮﨑

育成などというと生意気そうになってしまう。友人としてお付き合いしている。お互いに一緒になって色々と経済の勉強をした、ということだ。


川村

中国は今、高度成長、日本はかつて高度成長だった。宮﨑さんは日本の高度成長時代を中心に長い間多くの政策立案などに携わってこられた。そうした中で、これは、思い出話などをご紹介願いたい。


宮﨑

丁度、いま日本では地震がありその「復興」が議論になっている。実は、私が役所に入って最初の仕事が日本の戦後復興計画を作ることだった。経済企画庁、当時はその前身で経済安定本部と言っていた。リーダーは稲葉秀三さんだった。報告書は当時の吉田茂首相に提出した。これは膨大な仕事で多くの人を動員して報告書ができた。当初吉田茂首相は乗り気だったが、吉田さんは当時の日本は米国の影響が強くて日本が独自にそんな計画を作っても日本の自由になるものではない、米国との関係や米国へ配慮などの理由で、作成したものの、残念ながら正式に日の目を見ることはなかった。計画の策定作業では私は石炭を中心にしたエネルギー分野を担当した。あの時は「戦後の復興計画」だったが、今回の大震災からの復興計画策定でも参考になるのではということで、問い合わせがいろいろある。先日もある学者が論文で戦後復興のやり方が参考になるのではないか、といっていた。この報告では、エネルギー分野でも特に基幹産業であった鉄・石炭を重点産業として復興を図る傾斜生産方式の採用を提言した。何でもかんでもやるんではなく、重点的な産業である石炭と鉄を抽出してこれらを中心にして経済復興を図る、石炭と鉄を雪ダルマにして産業復興を進める、という考え方である。今回の復興においても参考となる方式ではないかと思う。東北地方を中心にして傾斜生産方式を採用し、日本全体の経済回復につなげていくべきだ、という考え方である。

川村

所得倍増計画などの結果、日本は目覚ましい復興を遂げ、高度成長期へと移行した。宮﨑さんはそのド真ん中で活躍していたわけだが、その過程での経済政策等で印象に残っていることは?


宮﨑

当時の大方の人たちは、エコノミストを含めて、戦後の破壊度合から考えて復興に関する悲観論が多かった。戦前のピークだった昭和9~11年レベルまでに回復するには相当の時間を要するだろうという見方が大勢だった。それはともかく、まずは5年計画くらいの計画を立てようと考え、先ほど申したように日の目は見なかったが計画を作ったものである。実際にはドイツ・イタリアを含め、敗戦国は戦勝国より早いスピードで復興をなしとげた。日本の場合、戦前の経済成長率は4%程度で、4~5%が続いても高望みだと当時は思われたが、その後、驚くべきスピード、8~11%と予想以上の水準で経済成長が続き、1955年(昭和30年)には「もはや戦後ではない」ということで戦後復興時代を終えた。これは大方の予想の半分ぐらいの期間だった。


当時の復興計画策定には多くの苦労も伴った。今と違って統計の未整備や情報も不十分な中であったが、一生懸命に皆が取り組んで予想以上の速さで戦後復興を成し遂げた。


川村

目覚ましい復興を遂げる最大の原動力は何だっただろう。


宮﨑

意識の面から言えば「新しい国を作ろう」と全国民が一生懸命になって回復の努力をしたことだろう。とにかく生きなければならなかった。「明日の食糧をどうするか」の問いから始まり、コメが必要であるならば米を増産する、増産を支えるには肥料が必要となる、肥料生産のためには重化学工業が再建される必要がある。そのためにはまず動力源である石炭や電力を整備する必要があり、傾斜生産方式で鉄・石炭など重点産業に資源を割り当てて、雪だるま式に経済を活性化させた。また、お金の面でも当時設立した復興金融公庫から国家による資金を投入し、集中的に重点産業に資金・資材・労働を割り当てて、回復を図っていった。予想以上に上手く行ったわけだが、その根底には自分たちの手でやろうという、皆の努力があった。


薛軍

そのような内的な要因で日本は頑張る精神を出して復興してきた。また、外的な要因では当時、朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需などトータルで回復し、早く復興していった。今回、外的な要因はあまり見えない。「日本特需」という見方どうか?


宮﨑

終戦後の復興当時も、必ずしもあまり外国からの援助はなかったと思う。米国でさえも日本人が飢えない程度の最低限の支援のみで、生活水準の向上まではなかったと思う。産業面でもある程度の回復は考えていただろうが、生活を豊かにしてあげようという気持ちは米国にはそれほど強くなかったのではないか。その後朝鮮戦争や冷戦などで日本を自分の陣営に引き付けておかなければいけない、ということで経済的に面倒をみるという視点が強くなったが基本は自分たちの力で回復をするということであった。今回も、日本政府は海外からの精神的なバックアップは歓迎するが、物的・経済的な直接的な支援等よりも、やはり自力で復興していこうと心がけていると思う。それだけの力も付いてきているし、やる気もあると思う。


川村

中国も日本の高度経済成長と似ている。他方、異なる面もある。例えば、所得格差、都市間格差など。どこか異なる点はないか。


宮﨑

色々あると思う。今の中国は、高度成長で産業構造も変わっている。60~70年代初めにかけての日本に似ている。70年代後半は1人あたりGDPが3,500ドルで、だいたい現在の中国と同じくらい。ここ10年の中国の経済成長と、日本の高度経済成長の時期と非常に似ていると思う。所得水準のほかに産業構造の変化や高度化をしてきている面も非常に似ている。そういう意味でお互いに勉強し合うのは良いことだと思う。


一方、違いも多い。一つは環境問題だがおっしゃられるように格差問題がある。何故か。難問だが、日本の場合は、安い労働力が農村から都市へ移行して工業発展をしていった、農村出身者の所得も上がるという形で所得の均衡が図られていった。しかし残念ながら、中国の場合は2重構造というか、地方出身者との所得格差が広がっている。どうしてそうなったかは理論的にも関心があるし、重要なポイントだと思う。日本は生産性の低い農村の人口が都市に流入し、都市労働力化し、高度化を支えた。その過程で所得格差が縮まっていった。中国の場合はある程度格差が縮まる要件はできたと思うが、農村からの就業者に対する待遇が政治的な受け入れ態勢を含めて、良くなかったことで、格差が拡大していっているような気がする。農村からの就業者の賃金を積極的に上げていくことが必要だと思う。もっとも、中国政府は、最近は田舎からの労働者に対しての賃金を上げることに対して寛容になってきてはいるが。それでも日本と違って格差が拡大している。厄介な問題だ。制度的にも、最近はだいぶん改善はされてはいるものの、戸籍上の問題では、流入者の身分が社会的にきちんと認められていないのも格差拡大の要因かもしれない。この点でも中国は重要視して取り組む必要があるように思う。

薛軍

ルイス転換点は、中国も5~6年前に転換したと言われている。日本は1960年代前半に確か転換している。中国では2重構造があり、沿岸部と農村部の格差は大きくなっている。ルイス転換点を通過すると、今まで農村部から都市部へ流入した労働人口が、流出せず、農村部自体が都市化していき展開していく。本来は格差を縮めていきたいと思っても、どうもそういう方向になっていないようだ。北京オリンピック前と東京オリンピック前と似ていることが多かったと思う。1次・2次・3時産業の労働構成比は1960年代の日本と同程度、日本はその後構造改革やオイルショックを機に省エネやブランドを出して成功してきた。しかもスピードも速く。中国は人口は多く、格差や社会的な矛盾が多く、行き詰まりを感じているように思える。中国のこれからの工業化や都市化についてはどう見られているか。


宮﨑

中国の場合、マクロ的には総じてうまくいっているが、おっしゃるような問題がある。改善のためにはまず都市部へ移った農民工などの社会的・経済的な待遇を良くすることが重要だと思う。日本では地方出身者に対して住宅も提供し、社会資本の整備を進めるなど都市の人々と同じ政治的・経済的待遇をするよう努力してきた。ところが中国の現状は、制度的に受け入れることが不十分ではないか。たしかに、農村格差を解消するための経済的なある種の保護政策、例えば農民の所得保障、農産品の価格を上げるなど、が行われている。それはそれとして良いが、より本質的には中国でも農村部を平等に市場経済化を図っていくことが必要だと考える。お金の助成などの政策は長い目で見て好ましくないと思う。もちろん、ある程度の社会保障、例えば教育・医療などの手当は必要であるが。経済的に見て所得保障するのはあまり好ましくないのではないか。


薛軍

ただ今後、農民の人口が縮小していくことになるがそれでも豊かになれるか。


宮﨑

豊かになれる。ただ日本の場合は農民人口が縮小し過ぎた感がある。しかも残っている農村人口は年寄りばかり。これはあまり経済的には良くない現象。中国は日本の失敗を学んではいけない。


薛軍

20年前大学院進学のため来日した時、日本の農民は皆地主でお金持ちというイメージができたが、一方で中国の農民は皆貧しい。その点、日本は素晴らしいと感じたものだが。


宮﨑

戦前の農民は地主制度で非常に所得格差が大きく、大多数の農民は恵まれなかった。戦後の農地解放によって、土地を耕せば一定の措置が受けられるようになり、それが原動力になって自分の土地で自分の好きなものを生産する農業政策になった。農民の人は必ずしも満足はしていないかもしれないが、ある程度成功してきたと言える。発展段階が異なるので、すぐに中国であてはめられるかは判らないが、中国でもある程度自分たちで十分競争できる環境を作ってあげることが必要ではないか。


川村

今回第12次5カ年計画が発表されましたが、前回の5カ年計画からさらにバランス・調和を意識している感がある。


宮﨑

そうですね。


川村

日本はあらゆるショック—オイル・ドル・ニクソンが70年代に起こり、一挙に構造転換を進めざるを得なかった。しかしその期間の日本は危機の中でも実り豊かな時代だったような気がしている。かりにその期間の日本の変化を平行移動して現在の中国にあてはめた場合、中国の政策当局者へのアドバイスはないか。


宮﨑

アドバイスなど偉そうなことは言えないが。言えることは、日本も成功と失敗の繰り返しだった。成功した理由として、できるだけ企業に自由な競争を導入してきたことが挙げられる。他方でその競争がしばしば問題を引き起こしたり問題解決が遅れたりなどあったので、なんでも自由なら良いとはいきません。ただし、基本的には、上からの指導よりも自分たちで良いと思ったことやらせる政策を展開していけば良いと思う。政府は、あれを作れ、これを作れということを言うのではなくて、むしろ教育や医療へ力を入れていくべきだし、産業の面では社会資本を整備し、人口の移動を自由にするとか生活の利便性を挙げる等とかに尽力すべきだと思う。混合経済体制でうまくやるべきだと思う。


川村

国際情勢での中国の位置付けについてお聞きしたい。日本はこれまで米国を向いてきたが、今後は中国やアジアなどとの経済交流が深まると考えている。近隣の中国や韓国とはいままで成功と失敗の歴史を繰り返してきたが、今後上手に経済交流を図っていく勘所はないか。


宮﨑

中国は今全体として上手くいっている。ああしろ、こうしろなどと偉そうなことは言えない。ただし経済が大きくなってきているということは周りの国に支えられたという面もあるし、そのような国々との協力なしには長続きしていけない。隣国だけでなく広く世界と協調していくことが大事だと思う。その点、日本は戦前必ずしも成功したわけでなく、植民地支配に走り戦争に発展したかつての日本の失敗の繰り返しはして欲しくない。もちろんそういう機運は今の中国にはないと思うが。やはり皆と平和的に付き合って、お互いに成長していくことを志すべきだ。地域の協力も大切だが、より広い視野も望みたい。日本の成功体験だけでなく、かつて犯した失敗、五族協和だなどという美名で日本の利益だけ考えていたような失敗に、私達は学び、そして海外の人たちとも共有していく必要がある。中国は今経済的に成功しているだけに、日本の戦前の経済的な失敗をして欲しくないと強く願っている。


薛軍

日本の教訓を活かしたいところだが、中国も同じ失敗の道を歩んでいるような気がしている。その点のアドバイスは?


宮﨑

日本も成功ばかりしている訳ではないので、成功も失敗も参考にして欲しい。確かに日本は高度成長から産業構造の転換などは成功してきた。しかし失敗でいえば、工業化の過程で公害現象や生産者優先、消費者の安全軽視問題などがあった。日本も中国も、経済を良くするということは究極的には国民の生活を良くするということであり、その基本には生命の安全を確保があると思う。経済的な成果だけを追求するのではなく、基本的には人間の生活を豊かにするという哲学を絶えず念頭に置きながら経済運営や企業経営をしていかなければならない。日本の70年代は成功体験と一般的に言われているが、人間性を無視したという点もかなりあったので、中国には繰り返して欲しくない。


川村

その70年代は私にとって青春時代ですが、当時は「のんびり行こう、ゆっくり歩こう」などという標語が出はじめた頃だったが。


宮﨑

池田首相の高度成長が成功し、その対抗である佐藤首相に代わった時、それまでの工業化一辺倒の路線から、「人間尊重」などという言葉がでてきていたが、実情はさほど変わらなかった。それはそれで良かったと思う。経済成長をするということは、最終的には人間性の豊かな生活を皆ができる条件ということだと思うので、中国も高度成長の中でそれを見失って欲しくないと思う。和諧社会をきちっとおやりになることだと思う。


川村

先に国が豊かになって、あとから国民が豊かになるのか。あるいは先に国民が豊かになって、結果として国が豊かになるのか。鶏と卵的な議論であり、哲学的・理念的になるが、人の豊かさ・幸福度を真ん中に持ってこなければならないということだろうか。


宮﨑

究極的にはそうだと思う。ただ、経済的に言えば、例えば、富める能力のある人にはまず富んでもらって、そして他の国民がいっしょになって努力してついていく必要があると思う。いわゆる「先富論」だ。ただ、ずっとそうであってはだめで、後ろがこれについて来れるようにしないと和諧社会にはならない。


川村

日本では戦前のプロレタリアとブルジョアの格差が高度経済成長とともに解消していき、より平等化していった。海外からは日本は最先端の共産国家だといわれた時期もあった。他方、中国は「先富論」の下、豊かになってきてはいるものの、巨万の富を得た、割と若い30・40代が立派なヨーロッパの車や家・別荘を持ち、一方で車で1時間離れた所には仮設住宅みたいな家に住んでいる人も大勢いる。高度経済成長を経て格差が拡大している印象を持つが、どうか。


宮﨑

上海などに行くと明らかにそれが出ていると思う。それは良くないことだと思う。道義的に上に行っている人には反省をしてもらうことは必要だと思う。経済的には例えば税制などをみると、遺産取得税や相続税がないのはおかしい、こういうところを変えたりして、所得再分配を進める必要がある。努力して富めるのは良いが、惰性で富んでしまうのでは経済的にも道義的にも良くない。社会主義は、本来それをきちっとやる制度だと思うが、資本主義の方だけ力が入っている気がする。ただ、一部の先進国でも見られるように、あとからついて来る人たちにお金を配れば良いという、単純な対応で平等化を図るのはあまり良くない。やはり皆が一生懸命働いて同じになることが望ましい。


薛軍

中国の雇用の問題について伺いたい。私は東京の大学院を卒業後、天津市政府に就職した。その当時、市政府は積極的に外資導入や合弁など改革開放に力を入れて沿岸部を中心に成長を図ってきたが、反面、労働者、農民工は保険がなかったり使い捨てされる等の弊害を生んだ。次のステージにいくのは大変な問題だ。中国は、日本のような成功、レベルチェンジは可能か。


宮﨑

中国は上手くいっていると思う。そんなに急ぐ必要はない。日本でも社会保障は田中内閣になって初めて整備されたものが出て、「福祉元年」と言って、例えば医療でいえば国民皆保険制度を確立した。中国もこれからは成長ばかり追求せず、社会保障や医療・教育制度などをこれから整備していけば良い。せっかちに急ぐ必要はないのではないか。確実にやっていけば。


川村

「急がなくて良い」というのはキーワードかもしれない。


薛軍

保障制度は今後計画に基づいて5年間やっていくことは間違いない。財政的には大丈夫だと思う。しかし、産業レベルで競争の世界になると、必ずしも成功はしない。そこは良く中国ではレベルチェンジ、あるいは発展パターンを変えることはできないと言われる。


宮﨑

それはできるはずです。例えば、日本でも高度経済成長時に、環境問題や生活水準の問題でもう少し成長のやり方を変えようという話が出た。ただそういうことをしたら国際競争に勝てないというのが産業界の言い分だった。でもそれをやってなければ、もっと早く国際競争で負けていたと思う。不当競争などと国際的に無視できない問題を起こしていたのではないか。中国では今、国際的な問題が色々と無視できなくなってきているのだと思う。


薛軍

本当に良い話を聞けた。環境保護、農村部の貧困地域の整備、産業のレベルチェンジなど全部上手く行けると思うか。


宮﨑

それはできるはずだ。自信を持った方が良い。


川村

民間の活力を政府がpromoteすることは重要だと思う。にもかかわらず、日本では行政組織や官僚機構・役所の仕組みは全て良くないことだと、批判にさらされてメディアでも格好の材料となっている。今回の震災復興では、計画を実行するという意味で公務員の役割は重要だと思う。しかし最近は不当に価値が小さいと言われてしまっている。今後の国作りや再建・再興には問題があるように思うが、如何?


宮﨑

公務員の頭の切り替えがどれぐらいできているかが重要だ。本来公務員は、堅い言葉で言えば国民に奉仕しているということが目的であった。いつの間にか奉仕することが指導、命令するなど上から考えるということが問題となっている。復興を期に国民と一緒にやる、同じ目線で考えなければならない。これも日本の失敗例の一つとして中国に参考にして欲しい。


薛軍

中国で良く言われているのは、政府と市場はどうやって組んでいくかだがアドバイスは?


宮﨑

極端なことを言えば、市場経済と言うのは民間中心で良いが、民間独善ではいけない。同様に、役所が一方的に引っ張っていくことも成功はしない。民間と政府がそれぞれの立場で努力していき、仲良くすることが必要。それこそ和諧社会と言うことではないでしょうか。いわゆる指導層と国民の関係が確立している、上からの命令でなく、皆一緒にやっていくことが重要。今回の日本の震災復興で日本人が良くやっているところは、政府が威張らず、皆でやっていこうという姿勢なので、好ましい。


川村

私も若い世代ではないですが、本日は色々と勉強になりました。ありがとうございました。

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