2015年02月05日
1994年のある日、ジャカルタの夜。友人でまだ30歳代だったインドネシア人コンサルティング会社社長から、ビール片手に思い出話を聞いていた。彼は、インドネシア大学を卒業後、当時の日本の文部省奨学生試験に合格、同省の振り分けによってある地方大学の工学部に留学して修士号を取得、のちに次期大統領に就任するハビビ長官率いる応用科学技術庁に勤務していた。彼の仕事は、留学先に近かった某自動車メーカーと交渉し、この会社と応用科学技術庁とが手を携えて販売価格6,000ドル相当のセダンをインドネシアで生産販売するというものであった。ところが、このプロジェクトは両者が大筋合意しながらも突然とん挫、プロジェクトを推進した彼は、憤然として同庁を退職、独立してコンサルティング会社を起こした。彼にとっては、自分が学んだ日本の先端技術を使って世界でも例がない価格を実現し、一人でも多くの人にクルマに乗る夢をインドネシアで叶えてほしい、そういう純粋な夢が潰えてしまったそうである。
アジア新興国では、中間層の裾野が拡大しており、低価格の「エントリーカー」には大きな潜在的な需要がある。所得層別に人口ピラミッドを描けば、アジア新興国では所得が低いほど該当する人口が多いピラミッド構造になっている。したがって、自動車の価格を下げるほど、販売台数が急拡大する可能性が大きいのである。
しかし、安ければよいのか、と言えばそれは違う。消費者にとっては、たとえ価格が低くても月収の数倍から十数倍の買い物となることから、贅沢品を買う感覚となる。それだけ支払うのだから、冷房や内装を省いたインド・タタ自動車の「ナノ」のような商品には拒否反応を示す。タタ自動車は、ナノの最低価格を3,000ドルという画期的な価格を設定して勝負に出たが、フル装備の内装は譲れないという消費者の嗜好を汲むことができず、インドでの市場獲得には至らなかった。インドネシア人の友人も、消費者の嗜好は見抜いていて、あくまでフル装備の内装でのモデル開発にこだわっていた。

もう一つ、ポイントがある。消費者は上記と同様の理由で、少しでもスタイリッシュまたは贅沢感が味わえるセダンを本来志向している。
しかし、こう書くと次のような反論が出るかもしれない。タイを見よ、乗用車と商用車の販売台数が拮抗しているではないか。特に、荷台がある1トンピックアップトラックは商用車の販売台数の大半を占め、タイは世界における生産基地でもある。農村の所得が向上しているから、荷台がある商品が売れているのではないか、インドネシアを見よ、多目的車(MPV)の市場シェアが58%(2014年インドネシア自動車工業会調べ)を占めている。大家族で洪水も多いことから、3列シートで車高が高いMPVが消費者のニーズを満たしている結果ではないか。しかも、セダンはわずか2%しか売れていない。消費者はセダンなど求めていない。
ここに書かれた反論は、間違ってはいない。ただ、それらは後付けで出てきた説明で、タイで1トンピックアップトラック、インドネシアでMPVが売れている主たる理由ではない。それは、それぞれの国で、商用車カテゴリーとMPVの物品税(インドネシアでは奢侈税)が優遇されているためである。

タイとインドネシアでは、それぞれ乗用車とセダンという分類では物品税は30%以上と高率である。これに対して、タイでは1トンピックアップトラックの物品税を排気量によって3%または12%、インドネシアでもMPVまたはスポーツ・ユーティリティ・ビークル(SUV)を12%と優遇している。1トンピックアップトラックとMPVが高い市場シェアを示しているのは、こうした税制によるところが大きいと考えられる。
ここまで書くと、冒頭で「安ければ売れるというのは誤りだ、と書いたではないか」と、目ざとい読者からさらに反論が出るかもしれない。そこがミソである。繰り返すが、あくまで、消費者はフル装備の内装でセダンを求めているのである。
インドネシアのMPVを例にとってみよう。インドネシアのMPVは、1980年代の商用車カテゴリーの独自モデル「キジャン」(Kijang)に端を発する。乗用車(セダン)の奢侈税率が高いことから、キジャンはセダンを志向する消費者に合わせてミニバンを乗用車の内装とそん色がないように改造して対応したものである。販売価格も最低20,000ドル台であった小型乗用車に対して10,000ドル台に抑えた。初代モデルは価格を抑制するために、曲線を排したジープに近いものであったが、モデルチェンジで外観も現在のMPVと近い形に仕上げた。さらに、付加価値として商用車の構造(※1)を利用し座席を3列と定員を多くし、車高が高くして洪水にも対応したことで、トヨタは1990年代初めにキジャンでトップシェアを奪ってその後の地位を不動にした。トヨタ・イノーバをはじめとするインドネシアのMPVはキジャンのデザインを発展させたもので、現在のMPVは外観が限りなくセダンに近いものである。インドネシアのMPVとはいわば苦肉の策から発展したものである。タイの1トンピックアップトラックも、いすゞD-MAXはじめあくまで内装はセダンに近い形で仕上げている。荷台に座席から伸びる形で屋根をつくり、外観をMPVとほぼ同様にしたモデルもある。単なるトラックでは消費者の嗜好に合わない。



ところが、最近は状況が変化している。タイとインドネシアでは、物品税減税のスキームとして、それぞれエコカー制度とローコスト・グリーンカー(LCGC)制度が、2010年と2012年に導入されている。排気量の規制(タイの場合ガソリン車で1,300㏄以下、インドネシアでは1,200㏄未満)が制度の対象となるため、制度指定を受けた各メーカーが低価格乗用車を中心に対象車種としている。
タイのエコカー制度は、物品税を17%に減税し、日産(「マーチ」のタイへの全面生産移管)をはじめとして5社が指定され、現在2期目が始まるところで、10社が制度指定を申請している。各社とも小型セダンが対象車種として指定され、この制度が100万台を超えたタイの国内自動車販売台数の増加に貢献した。
インドネシアのLCGC も、奢侈税が基本的に免税になっており、日産、ホンダ、ダイハツとトヨタが指定を受けている。日産はMPVの色彩を全面に打ち出した車種を制度指定対象としているが、ホンダ、ダイハツとトヨタはセダンを対象車種としている。各社の対象車種が出揃い、特に小型セダンの価格が低下したことから、実質的に制度2年目の2014年には、LCGC対象車が17.2万台販売され、市場シェア14%を獲得した。

LCGC対象車種のうちダイハツ「アイラ」(排気量1,000㏄)は、画期的なエントリーカーのモデルである。従来、ASEANやインドで販売されてきた4輪車の最低価格は10,000ドルを切る程度であったが、最低価格7,000ドル台で内装フル装備の乗用車に仕上げてきた。これは、日本の軽自動車ミラ イースをベースに現地で開発したものである。同じモデルを、価格帯がやや高いトヨタ「アギラ」としても販売しており、両者合わせてLCGCで一番の売れ筋となっているようである。
アイラは、友人が夢見た「内装フル装備で6,000ドル台のアジア専用のエントリーセダン」をほぼ20年以上の時を経て実現しつつある。ダイハツはアイラをマレーシアでも「アジア」(AXIA←ASIAのSをXとした)として2014年後半から展開を始めている。一方MPVはLCGCにシェアを奪われ始めているものの、その人気は侮りがたい。税制が理由とは言え、比較的大きな車体で大家族や洪水対応など現地のニーズを長年くみ汲み上げて需要が定着しているためである。しかし、税制がサポートし、価格がさらに低下して、燃費が良く環境にも優しいエントリーセダンのモデルが増えてくれば、長年税制で抑え込まれてきたセダンに対する消費者本来の嗜好が強まっていくであろう。また、富裕層のセカンドカーとしての需要も出てくるとみられる。インド大陸も含むアジアで、エントリーカーが自動車に対する新たな需要を喚起してゆく可能性は大きいとみられる。
(※1)キジャンは90年代には商用車として分類されていた
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