一羽の折鶴が生む真の友好交流~ 九重町青少年訪中団に参加して ~

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8月末に筆者は、大分県九重町の青少年訪中団に随行する機会を得た。九重町は九州のほぼ中央に位置し、美しい自然環境に恵まれた、人口1万人ほどの町である。九重町ではこの美しい自然を次世代に亘って保護し、さらに良い状態に戻すために、「トキが棲める自然環境を目指す」という自然環境保護に取り組んでいる。その取り組みのひとつが、NPO団体の「九重トキゆめプロジェクト」を通じた、世界で唯一野生のトキが棲息する中国陝西省洋県との交流だ。

中国でも経済発展に伴って自然環境の破壊が進み、洋県のトキも絶滅が危惧される時期があった。日本では既に絶滅してしまった野生のトキを同様の境遇にしてはならないと、「九重トキゆめプロジェクト」では洋県のトキ保護に全力を傾けることとなった経緯がある。具体的には、トキを増やすための孵卵機の贈呈や餌場の確保、監視カメラの設置など様々な協力を行って来た。これら活動は陝西省政府に認められるところとなり、昨年9月には九重町と陝西省林業庁が環境保護協定を結ぶに至っている。

陝西省は人口3,600万人を超える巨大な省で、省都の西安は唐の都長安として悠久の歴史を持ち、文化的にも有名な都市である。その陝西省が人口1万人の九重町と対等の立場で協定を結ぶということは、当初誰の目から見ても不可能に思えたが、九重町の取り組みや「トキゆめプロジェクト」の情熱が、この3,600対1の差を越えた協定締結に結実したのである。

今回の九重町青少年訪中団の派遣は、同協定に基づく最初の事業で、町内で環境保護活動している中学生10名が陝西省を訪れて見聞を広げるとともに、洋県で野生のトキを観察し、洋県の子供たちとの交流を深めるという目的があった。

一行はまだ夜も明けきらぬ早朝に九重町を出発し、福岡空港から上海経由で西安に到着した。10名のうち9名が海外は初めてということで、不安と期待が入り混じった緊張感が一行を覆っていた。
次の日もまた一行は早朝に西安を出発し、バスで洋県に向かった。洋県は西安から秦嶺山脈を越えた漢中の手前にある山村である。三国志時代には蜀の諸葛孔明と魏の司馬仲達が激戦を繰り広げた地域で、随所に史跡があり、三国志ファンには堪らない地名が点在する。

車中ではリーダーを中心に洋県で披露予定の童謡「赤とんぼ」合唱の練習を始めるが、なかなか音程が揃わない。何度か練習をするが、前日からの強行軍での疲労も加わり、段々皆物静かになった。同行ガイドの「皆さん、着きましたよ!」という声に全員が目を覚ましたのは午後を少し過ぎた頃だ。かつては1日がかりの旅程が、2年前に秦嶺山脈を貫通する高速道路が出来て大幅に時間が短縮されたそうだが、西安を出発してから既に5時間が過ぎていた。
洋県で唯一という有機野菜をふんだんに使った料理で空腹を満たした後、いよいよ一行は洋県の子供たちが待つ交流会の会場に向かった。レストランから10分ほどの移動時間の間にも、もう一度「赤とんぼ」を練習するが、ここでも音程は揃わない。学生達は極度の緊張感に苛まれながら、バスを降りることになった。

会場に到着して双方の紹介と引率者の挨拶が済み、双方で出し物を披露することになった。まずは洋県側から歓迎のダンスと民謡が披露された。後で聞いた話だが、洋県側では今回の交流会のために選抜チームを作り、6か月も前から練習を積み重ねて来たという。一方の九重町側は10分前の練習でも音程が揃わないぶっつけ本番で、上手く行くのか、正直心配だった。ところが、檀上に上がった学生達は緊張に顔をこわばらせながらも、何度練習しても合わなかった音程が嘘のようにピタリと揃い、見事に「赤とんぼ」を歌い切った。
次に披露されたのは折り紙だった。学生達は出発前に1人100羽ずつ折鶴を折り、千羽鶴を完成させていた。それを九重町と洋県の交流の証として手渡した後、それぞれ分かれて会場の子供たちに鶴の折り方を教え始めた。言葉も通じないのに大丈夫かと心配したのは引率の大人達だけで、これは全くの杞憂に終わった。最初は戸惑っていた洋県の子供たちも次第に九重町の学生一人ひとりの周りに輪を作り、暫くすると長年の友人であったかのように笑顔で鶴を折り始めた。中国にも折り紙はあるが、日本の鶴の折り方は独特で、安定感がある。あっという間に何十羽という折鶴が出来上がった。

日中両国の間には相互の不信感から双方に対する国民感情が徐々に悪化しているとの懸念がある。アンケート調査の結果も芳しくないが、筆者は九重町と洋県の子供たちの交流を見て「全く心配はない」と確信した。言葉が通じなくても、文化や習慣は異なっていても、子供たちは一羽の折鶴で心を通わせることが出来るのである。ここにこの活動の真の価値を見出せたような気がした。
交流会を終えてホテルで少し休憩した後、いよいよ野生のトキのねぐらを見学しに行くことになった。野生のトキは群で行動し、夜は木の上で眠る。日暮れを前に餌場から群を成して戻って来るトキは「世界広し」といえども洋県でしか観察できない。ところが、地元で観察を続ける林業庁職員の案内の下、いくつかのポイントを移動するが、なかなかトキは現れない。とうとう初日は数羽が飛んでいるのを確認できただけだった。

次の朝は夜も明け切らぬうちにホテルを出発して、トキがねぐらから飛び立つ姿を見学するポイントに向かった。昨日はあまり成果がなかったということで、林業庁の職員が予めトキのねぐらを探しておいてくれた。遠路はるばるやって来た学生達を失望させてはいけないという職員達の心遣いである。まだ薄暗い山道を登り、川辺に陣取った頃にようやく朝陽が昇りはじめた。林業庁の職員によると対岸の木に数十羽のトキがいるというが、素人の目にはわからない。日が高くなって漸くそれらしきものが確認できるようになった。
それから待つこと小一時間、対岸の木々がざわざわと揺れ始めた。トキが目を覚ましたのだろう。いよいよ飛ぶか、と期待が高まるが、暫くは羽繕いなどをしている様子で一向に飛び立つ気配を見せない。一同がしびれを切らした頃、「クワッ」と一羽が甲高い声を上げたかと思うと、一羽、また一羽と次々に飛び立って行った。
朝陽を浴びて舞い上がるトキの姿に、一同は茫然とするばかりだった。正に朱鷺色の羽をはためかせる姿は優雅の一言に尽きる。瞬きをする隙さえ惜しいひと時だった。

全てのトキが餌場に向けて飛び立った後、我々も山を下りて少し遅めの朝食を取り、洋県に暇を告げて西安に向かう。陝西省林業庁の計らいで、西安に着く手前で希少動物の保護センターにも案内された。ここでは怪我をして保護されたパンダや金糸猴などの希少動物を飼育している。九重町の学生達にとっては、パンダを手の届く距離で見ることの出来る機会というまたとない機会になった。西安に着いてからは王朝の栄華を感じさせる兵馬俑や玄奘三蔵法師が天竺から持ち帰った経典を収めた大雁塔などを見学、これらの壮大な史跡もまた、学生達の目には新鮮に映ったであろう。

僅か1週間にも満たない訪中だったが、九重町の学生達の目は、西安に到着した時点と帰る時点とでは明らかに違っていた。当初は埃っぽい環境や有って無いような交通ルールに目を丸くし、平気で道端にゴミを捨てる庶民の生活に驚く彼らだったが、洋県から戻って来た時には「それも現地の文化!」と受け止める余裕が見られた。日本で快適な生活に慣れた身での初訪中は辛いところも多かったと思うが、それ以上の価値を手にしたことは間違いない。

日本では中国に関する様々な情報が氾濫している。大人が流す情報には様々な意図を含むものが少なくなく、中には真実が大きく歪められた報道もある。確かに一般の日本人にとっては眉を顰めたくなる場面も多いが、現地で自然環境に接し、中国人と心を通わせる経験をすれば、その場面もまた違ったものに見えるのではないか。九重町の学生達が見せた目の色の変化は、それを語っているように思えてならない。
日中間の国民感情が相互に悪化しているとされる状況を打破するには、九重町のような試みを日本全国に広めれば良い。折鶴一羽が生む真の友好交流、その現場に立ち会うことは、日頃、日中間の友好交流活動に身を置く私にとっても目から鱗が落ちる経験だった。このような活動が全国各地に広がり、継続実施されれば、日中両国関係の将来は磐石であろう。


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