駆け抜けるカンボジアの金融システム -移行経済の観点から-

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7月11日、カンボジア証券取引所の開所式が行われた。取引はまだ行われておらず、年内に開始の予定である(※1)

カンボジアは1970年代後半に、原始共産制を目指したクメール・ルージュによって、貨幣と銀行制度が廃止されたこともあった。証券取引所といえば資本主義の象徴であり、わずか30年余りの間に古代から現代まで駆け抜けてきたようなものである。

CLMV諸国(Cambodia, Lao, Myanmar &Vietnam)の経済には、共通した特徴がある。第一にいずれも計画経済下にあったということ、第二に低開発の状態にあるということである。ここでは、前者の移行経済という観点からカンボジアの金融システムを見てみたい。その前にまず、アジア型(中越型)移行経済の金融システムの発展過程を、類型的に把握しておこう。

  1. モノバンク・システム: 計画経済の金融システムの最も理想的な形はモノバンク・システムといわれるもので、国家銀行1行が中央銀行業務も商業銀行業務も行う。実際には、国家銀行+若干の国営専門金融機関(長期信用・外国貿易等)の場合も多い。銀行・金融機関といっても、計画経済の財政の導管として機能するだけで、金融仲介機能は著しく未発達である。非効率な国営企業への補助金支出などから財政赤字が拡大して、財政赤字の貨幣化、そしてインフレーション(しばしばハイパー・インフレーション)となることが多い。
  2. 二層銀行制: 計画経済期の体制内改革として、国家銀行を中央銀行と商業銀行に分離する改革が行われる(国家銀行の都市部を工商銀行、農村部を農業銀行にする場合が多い)。しかし、創設された国営商業銀行は、たいていの場合、純粋な商業銀行ではなく政策金融機能が残されており、財政からの補助金を代替して国営企業に優遇融資を行い、そのため不良債権が累積することが良く見られる。
  3. 民間銀行の参入: 市場経済化により新規参入規制が緩められ、民間銀行(+外資系)の参入が認められる。しかし、国営銀行の規模の優位が続く場合が多い(反対に、不良債権は上記の理由により国営銀行の方が多いことが普通)。
  4. 政策金融の分離: 国営銀行改革として、国営商業銀行から政策金融を分離して、開発銀行等政策金融機関を創設する。
  5. 銀行システム以外の貯蓄・投資仲介のチャネルとしての資本市場の本格的な発展が始まる。


下図は、典型例であるベトナムの銀行制度の変遷を見たもの(※2)。なお、ベトナムの資本市場は、2000年からホーチミン市証券取引センター(2007年にホーチミン証券取引所)で、また、2005年からはハノイ証券取引センター(2009年にハノイ証券取引所)で取引が開始されている。

図表 ベトナムの銀行制度の変遷
図表 ベトナムの銀行制度の変遷

(出所) 服部亮三、「移行経済の金融システム ~ロシア・中国等を事例として~」、
大和総研、『Russia newsletter』No.3, 2006年。

では、カンボジアを見てみよう(※3)。前述のように1970年代後半に貨幣と銀行制度の廃止という暴挙が行われたが、1980年に貨幣の再流通が始まり(※4)、National Bank of Cambodia(以下NBC)を唯一の銀行とするモノバンク・システムとなった。その後1989年にNBCから商業銀行業務を分離して、中央銀行と商業銀行に分ける二層銀行制の改革を行った。1991年からは民間商業銀行の参入が認められるようになり、1994年までに30行が営業を開始したが、その多くがNBCとの合弁であった。この点、計画経済的思考の残存が感じられる。しかし、1996年に中央銀行法が制定されたことから、中央銀行は外国貿易銀行を除いて商業銀行の所有権を手放すこととなった。その後、IMFの支援の下、銀行改革が進められ、15銀行の閉鎖と健全経営規制の強化が行われた。2005年に外国貿易銀行を民間大手のCanadian Bankを中心とするコンソーシアムに売却し、国営銀行はThe Rural Development Bankのみとなった。

モノバンク・システム→二層銀行制→金融自由化という流れは他の移行経済国と同様だが、カンボジアではその展開が非常に速い。金融規制については「deregulationはreregulation」と言われるように、旧来の規制を撤廃するだけではだめで、同時に新たな規制の枠組みを作る必要がある(例えば、競争制限規制を緩和するとともに健全経営規制を強化する)。だが、カンボジアは安易に新規参入規制を緩和して銀行システムが脆弱化し、後になって銀行の整理に追い込まれ、健全経営規制の強化を行っている。1行を除いて国営銀行体制を温存しなかったという点は、中国・ベトナム型と大きく違っている点で、急進的改革を実行したロシア(※5)・東欧型に近いが、これは、1992~93年に国連カンボジア暫定統治機構がカンボジアを統治し、IMF・世界銀行等が早くから支援していたことが大きく影響していたものと思われる。

このように、紆余曲折に見えるカンボジアの金融システムも、移行経済という観点からみると流れが良くわかる。しかし、その過程は中国・ベトナムと比べるとはるかに圧縮されたものであった。今回の証券取引所の開設も、人材の育成は不十分(※6) 、法・規制の枠組みも会計監査も不十分、金融市場・国債市場も未発達のままでの開設である。金融発展の順序を飛び越えたような強引な試みだが、カンボジア金融当局の今後の動向が注目される。

(※1)開所式におけるKeat Chhon副首相の基調講演、”Today’s inauguration is the evidence of the readiness of Cambodia Securities Exchange to start trading which has been scheduled to launch by the end of the year ・・・. ”
(※2) 中国の場合はベトナムより紆余曲折を辿った。中国は政治変動が大きく、左派が権力を握った時期はモノバンク・システムを採る傾向にあり、右派の場合は複数専門銀行制を採用してきた。
(※3)本段落の事実の部分は、IMF Country Report No. 07/291に拠る。
(※4)しかし、法貨rielには国民の信認がなく、現在も米ドルの方が通貨として使われている(ドル化)。カンボジアのドル化の程度は世界の中でも激しいものであり、このことが金融政策を著しく制約している。ドル化の問題は非常に重要であり、稿を改めたい。
(※5)ロシアになってから、急進的な自由化政策を採用したため(元)国営銀行であっても破綻した銀行が多々出た。
(※6)例えばIMFは、”Addressing the acute shortages of human resources and lack of technical capacity is of paramount importance and very high on the NBC’s agenda”と指摘している。IMF Country Report No. 11/45, 2011.


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