環境・援助問題を通じて見る国際交渉の政治経済学(1)

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国連をめぐる国際交渉といえば、最近では、昨年10月、名古屋で開催された生物多様性条約締約国会議、現在もなお進行中の京都議定書後の地球温暖化防止の枠組みを決める気候変動枠組条約の交渉、政治・安全保障面では、北朝鮮の核開発疑惑や砲撃事件などに関連しての安保理での駆け引きなどが注目されている。ここでは、かつて、国連の経済社会問題(※1)、とくに地球環境関連の国際条約の交渉に携わった経験等を踏まえ、交渉現場で実際に直面したいくつかの付随的な(必ずしもサブスタンスではない)事象を通じ、国際交渉の一側面を紹介したい。外からはわかりにくい交渉の実態を踏まえると、対外的にさまざまな形で出てくる国際合意に対する見方、読み方も変わってくるかもしれない。(※2)
第一に言語の問題がある。国連の公用語は、言うまでもなく、英語、仏語、スペイン語、アラビア語、ロシア語、中国語の6ヶ国語である。基本的には第2次世界大戦戦勝国の言語ということになる。公用語ということは、主要な会合はすべて6ヶ国語の同時通訳が用意され、また公式文書もすべて6ヶ国語に翻訳されるということを意味している。(この結果、たとえばアラビア語と中国語の同時通訳が手配できないと、いったん英語なりを介して訳されることになり、その分不正確に、あるいは訳を聞いてもよくわからないといった事態が生じる。)たとえば、次のような引き伸ばし作戦が起こる。夜の会議や非公式の作業部会などになると、通訳を用意できなくなることがまま生じるが、交渉を先に進めたくない国は、これを盾にとって、会合に応じないということになる。あるいは、英語の文書ができていても、他の翻訳ができていないと、話し合いには応じられないという戦略がとられる。
他方で、文書が違う言語に翻訳されるため、関係者が助かることがある。決議などの重要な文書になると、一字一句が交渉で詰められることになり、時に、この名詞は複数にするのか単数にするのか、この形容詞はどの名詞を修飾するかといった点が争点になる。周知のとおり、英語は名詞の単数、複数の区別がはっきりしているが、たとえば中国語は日本語と同じく、名詞自体に単数形、複数形の区別はない。また、英語や日本語では、場合によっては、形容詞がどの名詞を修飾しているか、あいまいにすることもできるが、ロシア語の場合、形容詞は、その修飾する名詞が男性名詞か女性名詞か、あるいは中性名詞かによって、また5つの格変化への対応関係から、異なった形を要求されるため、修飾関係をあいまいにしておくことは、通常許されない。こうした言語の違いを利用して、良いか悪いかは別にして、どうしても合意できない場合、同床異夢のままで、玉虫色に文書をまとめてしまうということが時に発生する。つまり各国が、各々の母国語の文書で、都合の良いように解釈するわけである
玉虫色という点で補足すると、文書に、「適当な場合」(as appropriate),「必要に応じ」(as necessary)、「関係する、該当する○○」( relevant ○○)、「然るべく、適切に」(in due course)といった文言を使うのも、対立をまとめる巧妙なテクニックと言ってよい。つまり、これらの表現は、各自が好きなように解釈できる余地があるわけである。それだけに、逆に言えば、こういった文言があるところは、最も注意を要する部分というべきである。たとえば、筆者がかつて参加した温暖化防止条約締約国会議(COP)では、決議の中で条約のどの条項を引用するかで、先進国と途上国の間で紛糾した際、結局折り合いがつかず、何度も「relevant articles」という文言でまとめられたことがある。条項によって、途上国に有利な文言と、先進国に有利な文言が混在しているので、それぞれが、自国に有利な条項を引用したがる。こういうことが起こること自体、条約が南北対立の妥協の産物であり、条文間の整合性が必ずしもとれていないことを示している。かつての北朝鮮制裁安保理決議でも、北朝鮮船舶の臨検をするかどうかでもめ、最終的に as necessaryという文言が付け加えられて妥協したことがある。
英語の take note も困ったときによく使われる。2010年に発生した韓国哨戒艦沈没に関する安保理議長声明で、「北朝鮮は本件に関係ないと言っていることを take note する」とされた。これでは、安保理として、北朝鮮の言っていることをどう認識しているのか不明であるが、そうであるからこそ、この表現が有効に使われているわけである。しかし、「役所」的に文書をまとめるだけならよいが、ほんとうに問題が起こったときに、対応がより紛糾する危険をはらんでいることは、常に認識しておく必要があるだろう。
第二に、総じて中味にかかわる実質的な議論より、手続き的な議論に多くの時間が割かれてしまうという問題がある。たとえば、一週間の会期しかないのに、議題をどうするのかについて、延々と議論が行われ、最初の2-3日はそれでつぶれてしまうということがしばしば生じる。(会議前に、議題や会議次第が細部までセットされていることは少ない。)たとえば、昨年、名古屋でのCOP開催で、日本でもにわかに注目を集めた生物多様性条約を例にとると、条約策定以来、もっとも微妙な問題であったバイオセーフティに関する議定書策定交渉をどうするのかについて、その後の政府間会合で長い間、そもそも議題とするのかどうかで常にもめてきた(総じて、途上国と欧は議定書で規制をかけることに積極的、米、豪は慎重という構図、日本はポジションが定まっていなかった)。1987年の条約策定から、議定書策定交渉開始の必要性について検討することで合意し、交渉そのものを開始するまで約8年の歳月がかかっている(その後、2004年にカルタヘナ議定書としてようやく発効した)。名古屋のCOPの争点であった遺伝資源へのアクセスと利益配分に関する国際的枠組み作りも、検討の日程について合意されたのが2006年であるが、実はバイオセーフティ同様、これも争点としては、条約策定当初からもめていたものである(温暖化防止と同じく、やはり基本的には、先進国と途上国の対立の構図、※3、4)。
問題に応じて専門家会合や作業グループといったものを設けるかどうか、設けるとしてその構成はどうするのかも、よくもめる点である。こうした事柄は、通常、会議の運営や交渉の進め方を管理する役員委員会(executive committee)によって決められる。専門家会合等が、実質的な議論を行って方向性を決めることが多いので、まずは、この役員委員会に食い込んでおくことが、交渉を自国に有利に進めるために非常に重要になってくる。この役員委員会のメンバーは、交渉課題に対する各国のそれまでの貢献度、関心度、地理的バランス、先進国と途上国のバランス等を考慮して決められるが、最終的には、政治的駆け引きにもなってくるので要注意である。
(※1) 関連組織としては、国連環境計画(UNEP),国連麻薬統制計画(UNDCP),国連人口基金(UNFPA)などの国連補助機関、条約関連で言えば、気候変動枠組条約(いわゆる地球温暖化防止条約)、生物多様性条約、オゾン層保護基金などの事務局。また、国連本部からの独立性が高く、ガバナンスも国連本体とはかなり異なる専門機関として、IMFや世銀がある。
(※2) あくまで限られた経験に基づくもので、普遍化することは必ずしも適当でない。
(※3) 本件が、名古屋COPで、対立を乗り越えて名古屋議定書としてまとめられたこと自体は高く評価されるべきである。ただ、まとめるために、途上国への資金モービライゼーションのための基金設立の検討を盛り込み、また遺伝資源利用から生じる派生物については、関係国間の個別の検討に委ねられ、事実上結論が先送りされた点などは、対立を解消して、合意文書をまとめるための伝統的手段そのものであったと言える(資金援助と玉虫色での争点先送り)。
(※4) 周知の通り、温暖化防止の交渉では、現在、最大の争点は、京都議定書を延長するか、最大排出国の米中などを加えた新たな枠組みを構築するかであり、日本等が延長に反対、途上国や新興国が延長を主張、欧州は条件付きで延長もやむなしとの態度と言われる。各国の主張は、それぞれ政治外交的背景があり、対立は当然予想されたことではあるが、日本の主張は、地球的な環境問題への対応、公正な負担という観点から当然の正論である。しかし、報道によれば、環境関連NPOは総じて、京都議定書延長に反対する日本に対して、環境問題への対応が消極的だとして強く非難している旨である。事実とすれば、本来政治的な配慮から離れ、環境問題解決にとって何が最善かを考えるべき組織が、自らの存在意義を自己否定するような話で残念なことだ。

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