2010年04月02日
これまでに2度上海駅を利用した。1度目はプライベートで蘇州に行き、2度目は公用で杭州へ行ったのだが、驚かされたのは、上海駅の喧騒と汚さ、そしてそれ以上に「駅の構内に何もない」ことであった。
長い行列を経て荷物検査を終えた後、ごった返す人の波にのまれながら待合室へ向かって歩くと、その途上には、上海の市井で見かけるような粗末な飲食物販売店が数件と、ファーストフード店が1店あるのみである。ここ数年、中国版新幹線の開通が盛んに喧伝され、また、現代的な浦東国際空港のイメージがあったので、もう少し洗練されたものを想像していたのだが、正直言って驚いた。
蘇州駅は更にひどかった。まず、駅の構内には飲食物販売店が1件しかなく、しかもそこには店員がいなかった。しかたなく、駅の外に出て時間をつぶそうとしたが、安心して入れそうな店は1件のファーストフード店のみ。そこも、電車の出発時刻を待つ乗客で溢れかえっており、席の見つからない欧米人観光客の集団は立ったままコーヒーを飲んでいた。
また、筆者の住居の最寄り駅である地下鉄「上海科技館駅」の構内には、何とニセブランドの商店街がある。駅周辺を歩いていると、時折、売り込みの店員にしつこくつきまとわれ辟易とした気分にさせられる。同駅は、上海らしからぬ閑静な住宅街が周辺にあり、浦東地区を代表するコンサートホールである東方芸術中心へも至近である。駅のコンセプトを考える際に、もう少し何とかならなかったものかと思ってしまう。
対照的に日本ではここ数年、駅ナカが話題に上ることが多い。例えば、「駅周辺の飲食店より駅ナカの飲食店が好まれる」という現象については、「利便性」という視点から様々な分析がなされている。駅で食事ができたり、ショッピングができたりするのが便利ということだが、果たしてそれだけが理由であろうか。
話は飛躍するが、幼少の頃、父親に連れられて井沢八郎さんのコンサートに行ったことを思い出した。子供時分だけに、ただただ退屈であった記憶しか残っていないが、それでも井沢さんの代表曲である『あゝ上野駅』は何か心に染みるものを感じた。同曲は「上野はおいらの心の駅だ。くじけちゃならない、人生はあの日ここから始まった。」と、東北地方からの集団就職者たちの哀切をしみじみと歌い上げている。
松本清張の小説においても、駅が重要な役割を果たす場面が多いように、日本人はある種の「情念」のようなものを抱きながら、駅というものを見つめる。昨今の駅ナカブームには、もちろん上述の「利便性」が第一の要因としてある。しかし、それに加えて、日本人が駅に対して持つこの「情念」というものも背景にあるのではないか。駅という空間に身を置いた際に無意識的に感じるほのかなロマンや淡い詩情といったものが、駅ナカを愛する日本人の心底にあるのではないか。
今や中国も高速鉄道網・地下鉄網が張り巡らされる時代となった。そんな時代にあっても、駅は、自分を自宅の最寄り駅から会社の最寄り駅まで運んでくれる中継点の役割を果たしてくれればよい、あるいは自分を旅先まで運んでくれる中継点の役割を果たしてくれればよい、差し当たりそれ以上の「利便性」は求められていないようだ。
しかし、中国も今後は日本と同じ道を辿ると思う。
例えば、中国人がより成熟した旅行を嗜好するようになり、あるいは、中国人が“通勤のクオリティー”の向上を望むようになれば、駅にはより高次の「利便性」が求められるようになる。その意味で、駅ナカは、中国においてまだまだ開拓の余地が大きく残されている分野ではないか。
いや「利便性」の観点のみではない。鉄道駅は、出稼ぎ者が内陸部の田舎から長時間かけて沿海部の大都会に辿り着いたほろ苦い思い出の地であり(かつての上野駅のように)、また、地下鉄駅は、夫婦が恋愛期間中に待ち合わせに使った甘酸っぱい思い出の地である。現時点で駅というものは、国家政策や都市計画によって造られた、市民の移動を充足させるための無機質なハコモノに過ぎない。しかし、時を経るごとに、中国市民は自分達の辿ってきた人生を重ね合わせながら駅を見つめるようになるだろう。大袈裟に言えば、日本人がそうであったように、中国人の「情念」が駅に注ぎ込まれていくのではないだろうか。
そして、その「情念」がある濃度まで達したとき、ただのハコモノである駅は“人生における特別な場所”へと変貌する。まさにその瞬間こそが、中国において駅ナカビジネスを耕すための土壌が整ったといえるタイミングとなるのではないか。日本が辿ってきた道と照らし合わせつつ、そのような想像を巡らしている。
至福の表情で駅を闊歩する中国人の姿を思い描きながら、駅ナカビジネスをデザインしてみるのもなかなかおもしろい。
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