環境・援助問題を通じて見る国際交渉の政治経済学(2)

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(2011年1月6日の本コラム、同タイトルのレポートの続き)

第三は、文化、宗教の相違にかかわる、微妙かつやっかいな問題である。よく遭遇したのは、イスラム教のラマダンの時期に会議が開かれた時に、イスラム諸国の参加者がいっせいに、「夕方にはホテルに戻って、メッカに向かってお祈りをしないといけないので、早めに会議を終わらせてほしい。」と言い出したことだ。もちろん、宗教的要請があり、彼らにとっては大変大事なことであろうが、これを言い出したのは、温暖化防止の会議の場で、当然、中東産油国は皆、石油消費量の削減につながる交渉はできるだけ引き伸ばしたいという姿勢であったので、交渉推進派からすると、意図が見え透いていると写った。会議の最後で、イスラム諸国は、次回交渉時期を決める際には、ラマダンの時期ははずしてくれと言い出し、他の参加者から、それではクリスマスはどうなるのか、仏教もいろいろ固有の宗教的に重要な時期があるという発言が次々と飛び出し、収拾がつかなくなったことがある。さまざまな要素、特に正面切って反論しにくい微妙な事柄にかぎって、交渉戦術として利用されやすいということに注意しておく必要がある。

第四に、往々にして、決議などの文書をまとめてしまうと、それで満足してしまい、仕事は終わったと皆が思ってしまうことだ。確かに、文書をまとめ、国際社会としての方針を示すことが会議当事者の使命であるかぎり、当然と言えば当然ではあるが、実際には、それがどう履行されていくのかが重要で、こうした国際交渉参加者には、その点での意識がやや希薄であるという印象が否めない。対立している争点をぼかし、あるいは先送りして文書をまとめることが多いだけに、合意文書がどう実行されているのかというフォローアップがより重要になるが、その体制は総じて十分でないことが多いように思う。この関連で、日本の場合は、決議や条約等を受け入れる場合、それによっていかなる責務が生じるか、本当にその責務を履行できるような国内体制になっているか、あるいは体制を構築できるのかについて、他国に比べるときわめて厳しく(言い換えれば真面目に)チェックしているのではないかと思う(いわゆる国内担保法をどう整備するかという問題)。これは当然のことと思うが、この点を詰めすぎる結果、国際約束の受諾が遅れるようなことになると、日本は当該問題に対し消極的だと誤解される場合もあるので気をつける必要がある。かつて関わった南極条約の締約国会合では、南極の環境保護のための議定書発効の遅れが問題となったことがある(日本等が批准しないため、発効に必要な受諾国数に至らない)。当時、日本は国内担保法の整備に時間がかかって、なかなか受諾できなかったわけであるが、議定書を受諾していない数少ない国のひとつになりつつあり、すでに受諾している国から強い圧力がかかり始めていた。日本としては、議定書の約束を確実に履行できる国内法整備をきちっとやらなければならないので、受諾に時間がかかっていると理解を求めたが、これに対し、某国から、「我が国は、国内法より国際約束を重視しているので直ちに受諾した、必要な国内法は後から整備する。」という発言があり、ショックを覚えたことを記憶している。国際約束とその実施を担保する国内法整備の関係については、決して、諸外国でも日本と同じように認識されているとは限らない(※5)。真面目で責任ある対応をとることは当然だが、それだけでは対外的に十分でない場合もある。

第五に、経済社会分野について、誤解を恐れずに単純化すれば、概して途上国(援助される側)は国連の枠組みを重視し、その中で問題解決を図ろうとするのに対し、発展を遂げた国(援助を供与する側)は、世銀やADBなどの国際開発金融機関(Multilateral Development Bank, 略称MDB。MDBは国連の専門機関という位置付けであるが、国連からの独立性が高い。公用語も国連本体と異なり、英語のみである。)を中心にしようとする傾向が続いてきた。そもそも開発援助をめぐっては、歴史的に援助するドナー国側と援助を受ける途上国側との対立の構図があるが、地球環境問題も、国際政治的観点からすると、南北問題そのものである(途上国のCO2削減目標設定と先進国からの援助の関係、生物多様性における遺伝資源へのアクセスと利益配分の問題等々)。そうした中で、国連は一国一票であるのに対し、MDBは出資額に応じた投票権となっている。世界には、国の数で言えば、なお途上国の方が圧倒的に多い。一国一票での多数決の下で途上国がまとまれば、途上国としての意向が通りやすいが、途上国からすると、様々な事柄が、特に世銀などの所謂ブレトンウッズ機関の下で、米国を始めとする先進国中心に運営されてきたという根強い不信感がある(MDBは援助を行う場合も、途上国の立場からすると、市場主義の下に、性急な民営化やコスト回収など非現実的な諸条件を付ける、各途上国の固有の事情を無視するなどの不満)。かつて、環境分野の援助供与を目的とする資金メカニズムについて、途上国が、世銀から発展してきた地球環境ファシリティ(GEF)に強い拒否反応を示し、国連の枠組みの中で締結された気候変動枠組条約など、各条約に基づいてそれぞれ固有の基金を創設すべきと主張してきたのは、援助資金規模としてGEFが十分かどうかというということより、むしろこうした「世銀アレルギー」という事情があったためだ(※6)。ただ2000年代後半に到り、こうした構図にやや変化の兆しが出てきており、MDBでは、中国など新興国の出資を増加させる動きが活発化している。これについては、先進国の中では、米国などは、経済力を高めている新興国も国際社会で応分の負担・責任を果たすべきとの観点から歓迎する一方、特に欧州諸国、また当面出資比率の増大が見込みにくい他の新興国や途上国の間では警戒感が強いようである(※7)。中国、インド、ブラジルなどの新興国がその経済規模に合わせて出資比率を高め、その経済的な影響力に見合って国際機関での発言権を増大させていくことは、基本的に望ましくかつ必然的な方向と思うが、そうした動きが、MDBの中のパワー・ポリティクスにどのような変化をもたらすのか、従来の単純な南北対立という構図がどう変わるのか、先進国、新興国、途上国という三極構造になるのか、新興国と途上国が引き続き結束することにより、途上国の意向がより通りやすくなってくるのか等々、おそらく案件毎に異なる複雑な様相を呈してくると考えられるが、今後注目されるところだ。

国連やMDBといった国際組織は、語弊があるかもしれないが、よくも悪くも「壮大な官僚組織」である。現在、国連加盟国は192カ国にのぼり、各国の利害思惑が錯綜していることから、これまで述べてきたような現象はみな、ある程度当然のことではある。しかし、援助、環境、人口、麻薬、国際テロなど、一国だけでは有効な対応をとりえない国境を越える問題への国際社会の対応を有効にしていくためには、なんといっても、国連組織のような多国間の枠組が不可欠かつ最も有効であるはずである。こうした認識を前提とし、またそこでの交渉の現実も踏まえながら、課題に応じて、どうすれば日本そして国際社会にとって望ましい解決策、妥協が得られるのかを、戦略的に考えていくことが求められる。

(※5)その後、日本は、1997年、本議定書の実施を担保する国内法として、南極環境保護法を制定し、翌年に本議定書の効力が生じた。同じく地球環境の分野で、現在注目されるのは、昨年10月、名古屋での生物多様性条約締約国会議で合意された、遺伝資源へのアクセスと利益配分に関する「名古屋議定書」であり、締約国のために署名開放中である。日本も5月11日に署名している。日本国内では今後、国内担保法の必要性の検討・整備⇒国会承認⇒受諾という経路を辿り、受諾国が50を超えた後に発効する。
(※6)なお、その後、GEF自体がこうした途上国の懸念も踏まえ、種々そのガバナンス(組織の管理運営のあり方)を改善し、世銀からの独立性も強まってきたようであり、また現実的にもファシリティとして定着(あるいは既成事実化、他に当面代替がない等々)してきたことから、近年は、この面での対立は表面的には沈静化しているようである。
(※7)世銀では、中国が、独英仏を抜いて3位になる見込み。ADBではアジアの地域機関という性格もあり、従来から、中国の出資比率は欧州諸国より高い。投票権に結びつく出資という点では、設立以来、日米が同じ出資比率で第一位。ただし、投票権に結びつかない拠出金も含めると、日本が最大。中国は、これら国際機関における出資比率の拡大を求めて発言権の強化をねらう一方で、あまり急激に出資比率が上がった場合、その国際機関、ひいては国際社会の中でのステータスにどういう影響が生じるかなども慎重に考慮している模様である(必ずしも、手離しで出資比率の拡大を望んでいるわけではない)。

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